【FFT SS】黒い聖騎士
暗殺者たちの猛攻を退け、ラムザ一行はランベリー城内に突入する。
そこには銀髪鬼ことエルムドア侯爵、そして殺しを生業とするアサシンのセリアとレディが悠然とこちらを見つめている。
「(城門前でレディに深手を負わせたはずだが…完璧に回復している。やはりあの二人も人間ではないな…)」そう思うとあの二人の人間離れした技術と美貌も頷ける。ラムザに悪寒が走る。
「やぁ、諸君。ようこそ我が城へ」悪ふざけか一礼までするエルムドア侯爵。
「……アルマを返してもらおうか」静かに、そして怒りを込めてラムザが言葉を放つ。
「やれやれ。慌ただしい事だ。もう少し穏便に事が運べないものかね」
肩をすくめて微笑する侯爵。
「ふざけるな。城門前でそこの二人を僕たちに仕掛けたのは誰の命令だと思ってる」
「無論私の指示さ」悪びれる様子もなく当然のごとくラムザに返す。
「……交渉決裂だな。お前を倒して妹は僕が連れて帰る」怒りに震えるラムザ。
くくく、と笑いを漏らすエルムドア。
「私も堕ちたものだな。自慢のセリアとレディは君たちに破られ、こうして主君の私に刃が向けられようとしている」
シュン、と申し訳なさそうに肩を落とすセリアとレディ。そしてラムザ一行を睨んでくる。
恐ろしく美しく、そして邪気に満ちた顔で。
「生憎私の力はこの二人と大して変わらなくてね。十中八九君らの勝利で幕を閉じるだろう」何が可笑しいのか、また笑いを漏らすエルムドア。
「……命乞いでもするつもりか…?」穏便に済むのなら越したことはない。
一応可能性の一つを口にしてみるラムザ。
「馬鹿を言って貰っては困るよ。折角ここまで進めた堕天使の復活計画だ。今更取りやめることなどするものか。何、少し手数が足りないかな、と思ってね」
…なるほど。こちらは五人、あちらは三人。確かに戦闘要員の数に差はある。
「…では何か、助っ人でも用意しているというのか…?」
意外な可能性に、平静を装いつつも脅威を感じるラムザ。
「そんなものは用意していないよ。第一そこらの一介の戦士などこの戦いには足手まといだ。私を守護するナイトが欲しくてね。それも腕の立つ」
クスクスと笑いを漏らすセリアとレディ。
次の瞬間、突然エルムドア侯爵が消え去った。
仲間一同「!!?」
アグリアスの前方に突然影が現れる。これは…?
事態を把握する時間も与えずに、侯爵のアグリアスの首筋への鋭い手刀。
ドンッ、という音に皆が一斉にアグリアスの方を向く。しかしそこにアグリアスはいない。
呆然とアグリアスのいた場所を眺めるラムザ達。
「何か面白いものでもあるのかね?」セリアとレディの中央に、ぐったりとしたアグリアスを抱える侯爵の姿。
「なっ……!?」驚愕するラムザ達。一体どんな術でこの空間距離を移動したというのか。
相変わらずに愉しそうにクスクス笑う二人をよそに、侯爵は語り始める。
「この女騎士…名をアグリアスといったな。私は前々から気に入っていたのだよ。その剣士としての実力もさることながら、美貌と覇気が素晴らしい。私の部下に加えてあげようと思ったのさ。ただの人間にしておくのは惜しくてね。主に忠誠を誓う年もとらない美しいままの女騎士…。素晴らしいとは思わないかね?」
ハハハハ、と高笑いする侯爵。狼狽するラムザ。
「では頂くとするか…」アグリアスの首筋に歯を突きたてようとするエルムドア。
堪らず走り出そうとするラムザをムスタディオが引き止める。
「馬鹿! あの二人を忘れたのかよ!!」そう怒鳴られてハッと我に返るラムザ。
そうであった。エルムドアを護るセリアとレディは生粋の殺し屋。
不用意に近づけば間違いなく殺される。くっ、と己の無力を嘆いて声を発するラムザ。
「いいのかしら? 早く助けに来ないとエルムドア様がかわいいかわいいアグリアスちゃんを仲間に引き入れてしまわれるわよ?」挑発するレディ。
隣でさも愉しそうに笑うセリア。どうすることもできないラムザ達。
エルムドアに血を吸われ、足元にドサッと落とされたアグリアス。顔から血の気が失せている。
アグリアスの体が細かく痙攣し始めた後、何事もなかったかのようにすっくと立ち上がるアグリアス。
「おはようアグリアス」愛娘を起こしに来た父親のように優しく挨拶をするエルムドア。
「おはようございます。エルムドア様」ひざまずいて頭を垂れるアグリアス。
「(一体何が起こった…!?僕はどうしたらいい!?)」混乱するラムザ。
「…吸血だ」ラムザの仲間が唐突に声を発する。
「なっ……知っているのかモトベ!」驚くラムザ。侍・モトベ。パーティ内一の博識だ。
「吸血…闇の眷属しか使えない邪技だと聞く。対象の血を吸うことにより自らの魔力を対象に送り込み、心を支配する。ネクロマンサー(死霊使い)が死霊を使役するのとは機構が全く異なる技だ。対象は自らの意思と知能を保ち術者との主従関係を結ぶ。最大の特徴は術者の負担が小さく、そして非常に厄介だということだ」
言葉を次々と紡ぐモトベ。「ほう、詳しいな」エルムドアも感心するほどだ。
「エスナは通用しない。術者の魔力…つまり命を断てば元に戻る。しかし単純な時間経過で回復不能になる。長くて二日、短くて半日だ。気をつけろラムザ。吸血されて支配下に置かれた者は術者と同じく吸血能力を備える。つまり伝染するんだ」
「…(こいつ…闇の世界の術を何故ここまで深く―――?)」
言葉にしないが内心驚くエルムドア。
「じ、実は私は面白い余興を用意していてね」侯爵が話を仕切りなおす。
「そこにいるラムザ君…。君にはずいぶんと邪魔されたよ。正直言ってここまで計画が乱されるとは思っていなかった。そこでラムザ君、今日は君に少しお返しをしてあげようと思ってね」淡々と言葉を続けるエルムドア。
何を言われるのか内心恐ろしいラムザ。
「部下の報告によると、君は大層このアグリアスを御気に召しているようだねぇ」
くくく、と笑うエルムドア。どよめく仲間たちと顔を赤らめるラムザ。
「……それが一体どうしたっていうんだ!!」内に秘めた気持ちを何の前置きもなく暴露されて、怒りに震えるラムザ。
「なぁに。簡単だよ。愛する者に殺される気持ちを、是非君に体験してもらいたくてね」
「なっ……?」一瞬耳を疑うラムザ。
「君以外の三人は私とセリアとレディで始末しよう。君の相手はアグリアスだ」
呆然とするラムザ。一体どうすれば―――?
「(ラムザ、ラムザ)」モトベが気づかれないようにこっそりラムザに話しかける。
「(これを持っておけ)」モトベがラムザに透明な液体の入った小瓶を渡す。
「(これは聖水だ。これをアグリアスに降り掛ければアグリアスは元に戻る。気をつけろよ。吸血状態の者は通常よりも力が増すらしいからな)」
「いけ。手加減無用だ。念入りに苦しめて殺せ。何ならお前の配下にしてもいい」
アグリアスに下知を飛ばすエルムドア。
「御意」一言だけ言って立ち上がるアグリアス。
その手には既に騎士剣が握られている。
―――そうして戦闘が始まった――。
飛び出す自軍とそれを迎え撃つ敵軍。
前方では剣のぶつかり合う音と魔法の炸裂音が響き渡る。
目の前にはアグリアス。今や彼女はエルムドアの手中にある。
彼女の様子は変わらない。首筋に二つの小さな穴が見える。
「さぁ、剣を抜け。殺してやるぞ。ラムザ」
彼女は普段どおりの声。それがラムザの心を余計に痛ませる。
「正気に、正気に戻ってくださいアグリアスさん!」もはや祈るような声。
「何を言っている。私は正気だぞ。頭は冴えきっている。体調も普段より良い」
「騎士道は…騎士道はどうしてしまったんですか!?オヴェリア様を護るんじゃないんですか!?」
「……」一瞬考え込むアグリアス。「騎士とは…」言葉を続けるアグリアス。
「騎士とは主に忠誠を誓いし者。そして主の武器となる者をいう。私の主がオヴェリアからエルムドア様に替わった。ただそれだけのことだ。私は任務を遂行する」
「…………」言葉を失うラムザ。しかし冷静にならなくてはならない。
ここからの自分の行動が彼女を救えるかを決めるのだ。
…見たところ。モトベの言った『自らの意思と知能を保つ』という言葉は正しい。記憶も技術も欠損していない。剣の構えは普段通りだし、僕のこともしっかりと覚えていた。
……厄介だな。それがラムザの率直な感想だった。
何かを使役して戦うタイプの術者は珍しくない。
しかし傀儡が自律的に闘うというケースは稀で、大部分が術者が傀儡を遠隔操作して戦うというのが常である。傀儡の動きは直線的で、柔軟性に欠ける。
動きの先が読みやすく、対処しやすいのだ。それにもうひとつの弱点がある。
傀儡を操る術者は、傀儡の操作にかなりの魔力と思考、精神力を割く必要がある。
動きと魔力が鈍った術者自身をさっさと倒してしまう、というのが定石なのだが…。
この『吸血』は、そんなものよりも遥かに厄介なのだ。
敢えて傀儡の記憶と知能を保持させることで、傀儡は本来の戦闘能力を全く損なわない。
自律的に戦えるので、術者は傀儡を縛る魔力を供給するだけで戦える。
遠隔操作タイプよりも遥かにリスクが少なくメリットが大きい。
…なるほど。よく出来た術だ。しかし感心などしている場合ではない。
つまり今ラムザの前にいるのは紛れもないアグリアス本人。
当人は知らないが、仲間内では「戦乙女」の名で通ってるほどに彼女は強い。
今は彼女を愛しているから戦えない、という次元の問題ではない。
手を抜いて戦えばあっという間に殺られてしまう。
自らが生き残るために、そして彼女を救うために剣を取らなくてはならない。
意を決して剣を抜くラムザ。「ようやく戦う気になったか」微笑を交えてアグリアスが呟く。
「たまには待ったなしの本番というのも悪くはないものだ。今日は途中で音を上げてもそのまま殺す。そのつもりでかかって来い」
―――彼女と剣を交えるのはこれが初めてではない。もう何度繰り返したか分からないくらいだ。ラムザのパーティ内では、各々が得意とする分野を仲間にそれぞれ伝授しあうことで、全体の戦力を上げようという慣わしがある。
剣術の教授担当はアグリアスである。遠距離からの聖剣技を切り札に持つ彼女だが、基本は接近戦である。そしてその腕は見事としか言いようがない。
ラムザの今の剣術はアグリアス譲りである。
つまり、アグリアス流剣術で師範である彼女に対抗しようというのだ。
全く愚かな事ではあるが、他に手がない。
距離を開いて呪文を詠唱しようとすれば、間髪入れずに彼女は聖剣技を放ってくるだろう。
瞬時に発動して大ダメージ、そして遠距離から届く聖剣技は、まさしく「魔術師殺し」の名に相応しい技といえる。どの道剣を直接打ち合う以外に手がない。
ラムザの脳裏にウィーグラフ戦の光景が蘇る。しかし彼女はウィーグラフよりも強い。
………実際のところ、両者の剣の腕は現在五分といったところである。
普段の稽古では互いに隙を見せずに長時間の打ち合いに発展するというのが常であった。
しかしそれはラムザが剣を一本しか持てなかった為である(稽古ではアグリアスの指示で、剣を二本持って立ち会うことは許されなかった)
ラムザの手には二本の騎士剣が握られている。ラムザが忍者を経て身に付けた技術。
実力が五分ならば、剣の手数で勝負が決まる。彼女は当然一振りの騎士剣しか持っていない。
大丈夫だ。勝算はある。何とか隙を作ってこの聖水を…。
「ラムザ。戦場で生き残るための十戒。その四番目を言ってみろ」
「…剣の打ち合いにおいて、一撃で相手を仕留められないということは己の力不足と危険を意味する。狙うのは頭、首、胸のいずれかに絞るべし」
「その通りだ。一流の剣士がそのような場所にやすやすと斬り込ませないことはお前も重々知っていようが、つまりその気概を持って私と立ち合え、という事だ」
いよいよ飛び出す構えを造るアグリアス。
「いくぞ。私の教えたことを無駄にするなよ」疾風のごとく飛び出すアグリアス。
それに応じるラムザ。
普段の立合い稽古とは比較にならない金属の接触音。そして熱気。緊迫感。
斬れないように刃を磨り潰した稽古用の剣での打ち合いとは訳が違う。
お互い一発でも食らえば、それが致命傷にならずとも大きく体勢を崩し、次の瞬間には首が宙を舞うことになる。
二本の騎士剣を相手にしても、アグリアスは全く退かない。
もはや両者のスピードは常人の範疇から大きく外れている。
持久戦に持ち込まれれば、経験の少ないラムザに不利である。
しかもアグリアスにはエルムドアからの魔力の供給で一種のリジェネ状態になっているらしかった。ラムザが見る限り、一向に疲れていく様子がない。
「(くっ、このままではまずい―――)」内心焦るラムザ。顔には出さない。
出してはいけない。剣の達人にはそういった情報さえも有効活用してしまう力がある。
二本の騎士剣の猛襲に耐えかねたのか、一瞬僅かな隙を見せるアグリアス。
それを見逃すほどラムザも未熟ではない。
「(勝機――――!)」思い切りアグリアスの剣を打ち払い、アグリアスの右手が正中線のラインから大きく外れる。「(御免!)」水月に全力で剣の柄を叩き込むラムザ。
「ぐっ……」小さな呻きを残してラムザの肩に倒れ込むアグリアス。
こうするしかなかった。打ち合いの最中に隙を作って懐の小瓶を取り出し、蓋を開けてアグリアスに降り掛ける。そんなことを許すような状況は有り得ない。
懐に腕を入れた時点で首か腕が飛んでいる。
しかし何はともあれ彼女の動きを止めることは成功した。
次の瞬間―――世界が反転する。
頭と背中を思い切り壁に押し付けられた。いや、正確には体ごと壁に投げつけられたのだ。
頭を強打し、立ち上がれない。景色が歪む。思考が乱れる。
……カツ、カツ、カツ、カツ…。朦朧とする意識の中で、妙な音を聴いた。
「(――――何かが来る――?)」立ち上がろうにも、指令を出す肝心の頭が参ってしまって体が動かない。
ドガッ、音と同時に背中に強烈な衝撃。鎧にひびが入る。鎧がなかったら背骨がへし折れている。「うっ……あっ…」堪らず苦悶の声を上げるラムザ。
一体誰が―――?エルムドアか?体の痛みが逆に気付となって、ラムザに視界と思考を呼び戻す。
「当身をするのだったら剣先を刺し込めば勝負は決していただろうに。いつも教えているだろう?『女と思っての油断・手心』で殺される場合が戦場に限らず多分にある、と」聴きなれた女の声。アグリアスだ――。
『気をつけろよ。吸血状態の者は通常よりも力が増すらしいからな』
モトベの忠告が頭の中に蘇る。すっかり失念していた彼の言葉。
「なかなかいい当身だったぞ。箇所も速度も重みも申し分ない。ただ今の私を気絶させるには至らなかったようだがな」
ラムザの頭を掴み、片手で軽々と宙に浮かせるアグリアス。
「(これが女の、いや人間の力―――?)」悪夢のような光景が繰り広げられる。
女の細腕で、大の男が宙ぶらりんになっている。
先ほどラムザが受けた一連の攻撃も、今の彼女にとってみれば油断しているラムザを壁に力任せに叩きつけ、そしてその後背中を踏みつけたことでしかない。
「今首をへし折ってもいいんだが、生憎エルムドア様から存分に痛めつけるように仰せつかっていてな。悪いがもう少し付き合ってもらおう」
今度はラムザ自身の体重と彼女の力の両方を同時に使って、ラムザの頭を床に叩きつけるアグリアス。また先ほどの状態に引き戻されるラムザ。
これでも彼女は手加減している。元々大型の騎士剣を軽々と振り回すアグリアスの吸血状態は、もはや常人の考えなど及ばない力を振るうことが出来てしまう。
全力で床に叩きつければラムザの頭など、踏まれたトマトのようになるのは必至である。
「ぐっ……」後頭部への衝撃に、ラムザの全身は痺れて動かない。
仰向けになって苦しみに悶えているラムザを見下ろして、さも満足そうにアグリアスは話す。
「どうした?いつもの気合で乗り切ってみたらどうだ?」
ラムザのどんな言葉も、どんな叫びも今の魔に魅せられた彼女には届かない。
ただ彼女を悦ばせるだけである。
――冗談ではない。このままでは彼女を救うどころか逆に殺されてしまう。
強い、強すぎる。今一度剣術で立ち向かおうにも、騎士剣は最初に壁に投げつけられた時にあさっての方向に飛んでいってしまった。
取りにいこうにも体が言うことを聞かない。第一彼女がそれを許さないだろう。
エルムドア達と交戦中の仲間達のほうに目を遣る。この窮地から救い出してくれることを願って。
レディの姿がない。倒したようだ。しかし戦況はほぼ互角といったところ。
モトベが残るセリアの忍刀二刀流と打ち合っている。アリシアはエルムドアの手を封じるだけで手一杯である。ムスタディオも後方からの銃撃・魔法援護で手が回らない。
くそっ、一体どうすれば――?今のアグリアスさんがエルムドア側に加われば均衡が崩れて仲間達は殺されてしまうだろう。一体どうすれば……。
「仲間の観戦か?余裕があるな」アグリアスが鎧越しにラムザの腹部を踏みつける。
「うあぁっ……」鎧によって緩和された衝撃とはいえ、鎧にひびが入るほどの威力である。
当然ラムザも無事には済まない。
執拗なアグリアスの一方的な虐げ。顔を蹴られ、殴られ、投げつけられ、投げ飛ばされ…。
武を生業とする者は、効率的に人間を破壊するために医学的な知識にも精通している。
彼女も勿論例外ではない。頭を強打させ、ラムザの身動きと思考を封じる。
回復の兆しが見え始めると、また頭への強打。時間を見計らって頭への打撃が続く。
結果的に、ラムザは一方的にアグリアスの攻撃を受け続けることになる。
まともな思考を働かせる余裕さえ彼女は与えない。
「クハハハハッ、貴様、本当にあのラムザか?この程度の男に今まで指揮されていたかと思うと情けないぞ」高笑いを上げながらラムザの頭を掴んで宙吊りにし、壁に叩きつけるアグリアス。
もうどうすることも出来ない。彼女の連撃に体はボロボロにされ、ろくに手足は動かない。
思考は混濁し、なぜ自分がこんな目にあっているのかさえよく分からない。
「まぁ何はともあれ、エルムドア様の『十分に痛めつける』というご命令は達成されたわけだが…」
何かを彼女が喋っている。意識が朦朧としてラムザの耳には届かないのだが。
「このまま嬲り殺してももちろん構わない。…しかし。私はもう一つエルムドア様よりお言葉を授かっていてな。お前を仲間に引き込んでも構わんそうだ」
しばしの攻撃の休止でようやく頭が回るようになったラムザに戦慄が走る。
『いけ。手加減無用だ。念入りに苦しめて殺せ。何ならお前の配下にしてもいい』
エルムドアの言葉がラムザの脳裏に蘇る。
――最悪だ。最悪の事態だ。僕だけが殺されるのならまだいい。仲間が僕の意思を引き継いでくれるのならそれでも構わない。しかし、僕がアグリアスさんと一緒に仲間達に斬りかかる―――!?ルカヴィ達の走狗になって―――!?
考えたたくもない可能性を前にして、ラムザは懸命に立ち上がろうとする。
それを見て取り、アグリアスが余裕に満ちた表情で歩み寄る。
ガッ、ラムザの頭をブーツの下敷きにする。ラムザの口から鮮血が漏れる。
「ハハハ。無理をするな。もう勝機がないことぐらい分かっているのだろう?」
再び地に伏せられるラムザ。言葉を続けるアグリアス。
「先ほどの剣の立ち合い…見事だったぞ。剣での勝負で私に勝ったのだからな。お前の油断が無ければ、私は死んでいただろう」慈しむような声で語りかける。
「剣で打ち負けるようならば、そのまま殺すつもりでいたが、お前の剣……ここで消すには惜しいと思ってな」ふふ、と笑いを漏らすアグリアス。
「今は私が力で圧倒しているが、それはエルムドア様からの御力故のもの。お前も私と同じになれば、さぞ素晴らしい魔剣士が生まれることだろう。お前の弱点である『甘さ』が消えた、強力な騎士がな」ただ黙って聴くことしかできないラムザ。
ラムザを抱き起こし、ラムザを見つめるアグリアス。その顔は普段と何ら変わらない。
「お前のその力。我が主を護る為に役立てて貰おう」アグリアスの顔がラムザに迫る。
―――勝機ではある。彼女は無防備に顔を近づけてくる。懐の聖水を彼女に降り掛ければラムザとアグリアスは共に救われる。
しかし一体どうやってそれを実行する―――?
当身を入れても今の彼女はビクともしない。というよりも、今の痛んだ体では当身を入れてもそれは当身とはなりえない。懐に手を入れても、簡単に彼女に知られてしまう。
不審な動きをすれば、今度こそ彼女は問答無用でラムザの首をへし折るだろう。
懐の聖水を取り出し、彼女に降り掛ける。それを実行するには彼女の硬直が不可欠である。
しかし一体どうすれば――?この弱った体と、鋼のアグリアスという状況でどう実行する?
何か彼女の動きを止める手段は…。必死に頭を回転させるラムザ。
硬直、硬直、硬直……。次の瞬間、ある一連の記憶と仮説がラムザの頭に駆け巡る。
【「アグリアスさんには誰か大切な男の人とかはいないんですかーー?」興味深々に訊いてみるアルマ。
「なななっ何を言っているのだアルマ殿っ!騎士たる者っ、そのようなことに心を乱してはっ…」
耳まで赤くなって大声を上げるアグリアス】
【「アグリアスさん、パーティの編成の都合上、踊り子になって頂きたいのですが、いかがでしょうか?」
申し訳なさそうにアグリアスに話しかけるラムザ。
「なっ……。ばっ馬鹿者っ! 私がっ…騎士があのようなふしだらな格好ができるものかっ…」
顔を真っ赤にして立ちすくむアグリアス】
【水浴びをして陸(おか)に上がったラムザは、偶然にも通りかかったアグリアスと対面してしまう。
ラムザにも恥ずかしい思いはあったが、一応ちゃんと腰に布は巻いている。
「すっ、すみませんでした!」なぜか謝るラムザ。……返事がない。恐る恐るアグリアスの顔を窺うラムザ。彼女は顔を真っ赤にして硬直していた】
そう。アグリアスは超がつくほどの純情な女性である。そのことは今までの経験からラムザもよく知っている。吸血状態の彼女は、以前の性格を保持している。
今の彼女が以前と同様、極端に異性に弱いかどうかは分からない。しかし可能性が無いわけではない。
もはや四の五の言っていられる状況ではない。今この状況を打開しなければ、己の、ひいては仲間の、世界の存命さえ不可能となる。全ては推論にしか過ぎない。
しかし、ここで何も行動を起こさなければ確実に助かる可能性はゼロである。
「(ゴメン!)」顔を寄せるアグリアスの唇に、とっさに自分の唇を押し当てるラムザ。
もう手段を選べなかった。体はろくに動かせない。となれば、首を前に突き出すことくらいしか出来なかった。
とても感触や感想を楽しんでいる余裕は無い。彼も必死なのだ。
「――――――――っ!!!?」顔を瞬時に紅くして硬直するアグリアス。
時間にして、彼女が戦意(というよりも的確な思考といったほうが適切か)を取り戻すまでに約4秒。この4秒の空白を創る為にどれほどの目に遭って来たことか。
反射的に懐の小瓶を取り出して、アグリアスの顔に中身をぶちまけるラムザ。
「あっ……?」小さな声を残してその場に倒れこむアグリアス。
「(た、助かった―――)」思わずガクッと膝を付くラムザ。
生き残る為とはいえ、他にどうしようも無かったとはいえ、強引に彼女の唇を奪ってしまった罪悪感を感じるラムザ。しかし彼女は何も覚えていないだろう。この手の術は傀儡が操られていた間の記憶は、術から開放された後は何一つ覚えていないというのが常なのである。
そういう点ではまだラムザとアグリアスには救いがあった。
「があぁぁっ」前方から聞こえてくるエルムドアの断末魔の叫び声。仲間達が彼を討ったのである。
「(命拾いしたな……)」その場に座り込んで安堵の息を漏らすラムザ。
程なくして、仲間達がラムザとアグリアスの元に駆け寄る。
「ラムザっ大丈夫か?」ムスタディオがラムザに訊ねる。
「ああ、心配ないよ…」ハハ、と無理して笑うラムザ。モトベがラムザに話しかける。
「ラムザ、アグリアスは……?」「大丈夫、無傷だ。君がくれた聖水のお陰だよ」
安心したモトベが「さすがは隊長だな」と笑いながら肩を貸す。
「う……ん……」アグリアスが声を僅かにあげる。どうやら目を覚ますようだ。
自分がそうした本人である罪悪感からか、ボロボロの体を引きずってアグリアスの元へ歩いていくラムザ。そして彼女を抱きかかえる。モトベはああ言ったものの、もしかしたら後遺症があるかもしれない。
「大丈夫ですか?アグリアスさん…」心配そうに声を掛けるラムザ。
パチッと目を見開くアグリアス。目の前のラムザに瞬時に顔は紅くなり、そして細かく震えだす。
―――これは?まずい、受身の準備を――。一瞬速いアグリアスの手。
「ふっ、不埒者ーーーーっ!!」ラムザを壁に叩きつけるアグリアス。先ほどの吸血状態の時の力に 勝るとも劣らない力で壁に頭から叩きつけられるラムザ。
最早限界であったラムザの体力と精神は、そこで闇に没した――――。
・
・
・
・
・
その後は色々と大変だった。
命に別状はないものの、ボロボロになった上に最後にアグリアスの一撃を受けて気絶したラムザの回復、そして隊を危機に貶めた(実際彼女の責任ではないのだが)責任をとろうと自決しようとするアグリアスと、それを必死に止めようと説得する仲間達。
地下墓地に乗り込むのは、ラムザが回復して意識を取り戻し、アグリアスが気持ちを落ち着けるのを待った後だった。
後日、彼女が言うには吸血状態になった者の心は、どこか暗い場所に幽閉されて身動きがとれない状態のように感じたという。自身の存在は確認できるのに、どうにもできない。
ただ眼前の映像が自分に送られてくるだけ。記憶や性格が『何か』に流用されていたような感覚も感じたという。吸血状態から開放された後、全てのことを覚えていたにも関わらず、ラムザとの事故的な接吻という事実に堪らずラムザを突き飛ばしてしまったという。
(操作系の術は、傀儡は記憶を失うのが常ではあったが、吸血ではなぜか操作されている間の記憶が保たれていたのだった)
既存の術とはあらゆる点で異なる魔技・吸血。それがもたらした一時はパーティが全滅しかねない一大騒動であった。
・
・
・
・
その後、アグリアスがあの接吻をどう受け取ったのか。単なる事故としてか、それともその先にまで想いが膨らんでいったのかは、後世の記録には残されていない。
全ては想像に依るしかない――――。
~fin~