FFT_SSの日記

インターネッツにあるFFTのSSや小説を自分用にまとめてます。

【FFT SS】冬の空を見上げて

 

陽が遠く地平線に顔をあらわした頃、アグリアスは静かに目覚めた。見なれた壁の風景。窓辺からは

鳥のさえずりが聴こえる。

ほんの少し寝床に未練を残しながらも、彼女はすぐさま毛布を払う。途端に部屋に立ち篭めていた

冷気が衣服の隙間から入り込み、彼女の胸を震わせた。冬がしみじみと身近に感じられる。

 

高原に聳える修道院の冬は寒い。服を脱げば、息も止まるような寒さに包まれ、それが心地よくもあった。

いつもの騎士服に手をのばしかけて、アグリアスはハッとした。

(そうだ、今日はこれを着るのか…)目を向けた壁には、一着のドレス。

今日はシモン先生の生日。日頃の感謝をこめて、お祝いしてあげましょうと言い出したのは

オヴェリアだった。

「いつも悪戯してばかりだものね。それに周りはお婆ちゃんのシスターばかりだし、たまには私達が

綺麗なドレスでも着て、サービスしてあげなくちゃ」

彼女の無邪気な優しさが微笑ましくて、つい請け負ってしまったものの。今になってアグリアスは

思いきり後悔していた。

ドレスは一応自分の要望通り、飾り気がなく純白で質素なデザイン。マーメイドドレスというらしい。

袖を通してみると、シルクの布地は見かけよりも暖かい。ちょっと気乗りして、淡いベージュのショールを

巻き付けて鏡を見ると、あまりにも開かれた胸元。やられた。

これが「サービス」のつもりなのだろうか。彼女はカクンと首を落とした。

 

「わあ、アグリアス。とってもステキよ!」

「ほう、これはこれは…」

食堂に姿をあらわすと、既に集まっていた面々から歓声が上がる。恥ずかしい。

「やっぱり隊長にはかなわないわねー、これだけ着飾ったのに」

「しょうがないわよ、中身が違うし」

ヒラヒラと裾をつまみながら、愚痴をこぼすのはラヴィアンとアリシア。二人とも流石にセンスを

感じさせる洒落たドレスを纏っていたが、どちらかというとそれは露骨な格好で、シスター達が

顔をしかめていた。アグリアスは周囲の視線に耐えながら、シモン先生に祝辞を述べた。

 

 

「御誕生日おめでとうございます、シモン先生。このような惨めな格好で恐縮ですが、心よりお祝いを

申し上げます。今年はもう少しお身体に気を配って、あまり書庫に篭り過ぎないように願いますよ」

「ありがとうアグリアス殿、よくお似合いですよ。老木の祝賀には、まったく過ぎた贈り物ですな。

この歳になって、かように楽しい日を迎えられるとは思ってもみませんでしたぞ」

髭を撫でながら、シモン先生は穏やかに笑う。本当に嬉しそうだ。こんなに喜んでもらえるなら、

こういうのも悪くないかもしれない。つられて笑うアグリアス。ドレスが彼女の身体にも心にも

馴染みだした頃、オヴェリアの明るい声がそれを吹き飛ばした。

「これでいつアルマ達が来ても安心ね」

 

(…は?)

どうやら、図られていたらしい。

 

 

食卓に並べられた菓子の類いをつつきながら、一同はにぎやかに談笑をする。

「もう二年ぐらいになるかしら、アルマ元気かなあ…」

「二年と三月ほど前でございますな、フィリオ神父にお連れされてきた時以来ですから。

あの時はいたずらものが二人になって。いやはや、気を揉まされました…」

「もう先生たら、そんなことばかり覚えてるんだから。ねえ、あなた達はあの頃いなかったわよね?」

「そうですね、我々が赴任したのは一昨年の……」

「ちょうど夏に入った頃でしたね。あの時は…」

「……オヴェリア様」

 

 

ふと、先程から口を閉ざしていたアグリアスが、恨めしげな声で会話に割って入った。

が、オヴェリアはそれを無視。

「ああ、そうね。確か野苺を採りに行ったのよね。懐かしいわ…」

「……オヴェリア様」

「あら、だいぶ陽が高くなってたのね。彼女、もうそろそろ来る頃かしら」

「………オヴェリア様」

「ラヴィアン、このお茶とってもおいしいわね」

「恐縮ですわ」

「…………オヴェリア様」

ズズーー………

「……………オヴェリア様」

「ハァ……ほんとにおいしい」

「オヴェリア様ッッ!!」

耐えかねてアグリアスは声を上げる。しかし平然として「なによ、うるさいわね」と不快そうに

顔をしかめるオヴェリア。ぬけぬけとした態度にアグリアスは気を呑まれてしまう。

「うる……オヴェリア様、アルマ様の御来訪の話を、私はお聞きしていなかったのですが……」

かなり怒気を込めて言ったつもりだったが、オヴェリアは依然として

「あらへんねーわたしラヴィアンにつたえたんだけど」と、棒読み口調。

「いえ、私はアリシアが言うかと」

「あら、私オヴェリア様がもうお話ししたかと思ってましたわ」

(…貴様ら)

「いいじゃないのアグリアス、それともまさか、今さら着替えるなんて言わないわよね?」

(ぐ………)

 

要するに狙いはそれだったのだろう。わざわざシモン先生の祝い事にかこつけて、私にドレスなど

着させたのは。はかりごともここまで周到だと呆れるしかない。アルマ様とぐるになって、散々

からかわれるのが目に浮かぶではないか。

それもまだアルマだけならよかったのだが、

「どんな人かしらね、アルマのお兄さんって」というのが大問題なのである。

先ほど、呆然としていたアグリアスに渡された手紙。アルマからオヴェリアに宛てた手紙には、

お父上が病に倒れてしまい、急遽実家に帰ることになったので、帰り道に久しぶりにここに立ち寄ることが

できそうです、という旨が記されていた。そして、その迎えの護衛団に彼女の兄が同乗してくるということも。

 

 

ベオルブ家の息子と言えば、真っ先にもみあげと顎髭が浮かんだが、やってくるのは末の兄らしい。

だが末だろうが何だろうが同じこと、男の前でドレスなどアグリアスには真っ平ごめんである。

オヴェリア様には申し訳ないが、一応シモン先生にも喜んで頂いたし。やはり着替えてしまおう。

こっそりと部屋を抜け出そうとするアグリアス。しかしそうは問屋がおろさなかった。

「どこにいくのかしら、アグリアス?」

「うっ……、あの……お客様がいらっしゃるというならば、その、す、少し化粧でも…と」

我ながら無理のある口実だと思ったが、意外にもオヴェリアは満面の笑顔だった。

「まあ!それはそうねアグリアス。ごめんなさい、私うっかりしてたわ。あなただって、綺麗な姿で

人前にでたいわよね!」

「え……あ。えぇ、もちろん!私もその、女ですから。それでは失礼して部屋に…」

「でもあなた、化粧道具なんてもってないでしょう」

相変わらずオヴェリアはニコニコ。しかし、目が全く容赦ない。背筋に悪寒が走った。

「綺麗になりたいのよねぇ…、アグリアス。だーかーらぁ……」ちらとオヴェリアが目配せをすると、

ラヴィアンとアリシアが素早くアグリアスをおさえた。

「ちゃーんとここに用意してあるのよー。さ、お化粧しましょ?」

「なっ!オ、オヴェリア様っ!?き、貴様ら。離せっ!」

「申し訳ありませんが隊長」「これも御命令なのです」

言葉のわりに嬉しそうな二人組。ジタバタするも、相手は三人がかりである。あれよあれよという間に

髪はほぐされ、紅を塗りこまれてゆく。アグリアスはたまらずシモン先生に助けを求めた。普段はあまり

いたずらの度が過ぎると、彼がオヴェリアをたしなめてくれるのだが、

「おや、お茶が切れたようですな。替えて参りましょう」

どうやら今回は彼もぐるらしい。結局なすがまま、オヴェリアのお人形ごっこは、外で車輪の音が

聴こえてくるまで長々と続いた。

 

 

 

「あっ、来たわ、来たみたい!」

「それでは私達は後片付けを」

「隊長、失礼いたします」

窓から見える馬車に喜々として目を輝かせ、オヴェリアは外へと駆け出した。二人もそそくさと逃げて

しまう。ボロきれのように椅子にもたれるアグリアス。どうやら選択肢はもうないらしい。散々弄ばれて

フラフラの身体を引きずり、彼女もオヴェリアに続いた。

扉を開けると、ぶわっと冷たい風が吹きこんできた。ケープとショールだけでは足りないだろうか。しかし、

思いのほか陽射しは暖かい、アグリアスはそのまま外にでた。ひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込む。

見上げれば、空をゆったりと流れてゆくひつじ雲。とても心地のいい日だ。…これさえなければ、と裾を掴み

まだ未練がましいアグリアス。ともあれ、彼女は正門に向かった。

「……オヴェリア様?」

門につくと、護衛らしき馬車の一団が到着していたが、先にでたはずのオヴェリアの姿はなかった。

彼女を捜していると、その内馬車から降りてくる髪を結んだ女の子の姿が目に入る。あれがアルマ様だろうか。

仕方なく、アグリアスは案内すべく歩み寄った。

しかし振り向いた女の子の顔に、彼女は思いきり戸惑った。

 

「……!」

アルマだと思ったのは、とても綺麗な顔立ちだが少年だった。何となくアグリアスはまじまじと見入ってしまう。

彼の方もアグリアスに気付くと、しばらくポーッと彼女を見つめていたが、急に慌てたように跪いた。

「…!オヴェリア様……」

「……え?」

呆としていたアグリアスは狼狽え、しかしすぐにその行動の意味する所を理解する。なるほど、どうやら彼は

オヴェリア様のお顔を知らないらしい。私をオヴェリア様と勘違いしているのだろう。こんなにドギマギして、

可愛いものではないか。それにしても、ドレス姿とはいえ王女と勘違いされるとは私もなかなか捨てた

ものではないな。

内心顔をほころばせながら、アグリアスはやんわりと誤解を解こうと手を差し伸べた。すると…、

 

 

「…キャッ!?」

「…えっ?」

再び意を取り違えたのか、彼はその手を取り、細い甲に優しく口付けたのだ。今度はドギマギするのは

アグリアスの方だった。

「なっ!わっわわわた、私はその、あの、ちが…違う、違いますっ!」

「えっ……あっ…あの……、な、なにか御無礼でも…」

慌てふためく二人。一方オヴェリアとアルマはとっくに再会を果たし、庭を一回りして戻って来ていた。

「あの人たち、なにやってんのかしら?」

「さあ?」

アグリアス達の様子に遠めに首を傾げ、クスクスとふたり、顔を見合わせていた。

 

 

遠くで自分達を観察しているオヴェリアを見つけると、アグリアスはその場から逃げるべく、慌てて彼女の

元に走った。少年も頭をかきながら、自分のチョコボを休ませに行った。

「アグリアス、何してたの?」

「いえ…その……」からかうようなオヴェリアの視線。本当になにをしてたのやら。

「ふふ…、アグリアスさん私とお兄さんを間違えたんでしょう?」

「やだアルマったら!いくらアグリアスでも男女の区別ぐらいつくわよ。ねえ」

「………」

「……アグリアス?」

「………も、申し訳ありません」

「ほらっ。でもしょうがないわ、お兄さん私より美人なんだもん。不公平よね」

そうしてまたクスクスと笑う二人、何をいっていいのか分からずアグリアスが顔を引きつらせていると、

トコトコとチョコボの手綱を引きながら、噂の兄上が歩いて来た。

「あ、ラムザお兄さん」

「楽しそうだね、アルマ」

「はじめまして、ラムザさん。私がオヴェリアです」

「こんにちはオヴェリア様、ラムザ=ベオルブと申します。お目にかかれて光栄です」

「そんなに畏まらないで、ただのアルマさんのお友達の一人ですから」

「あら、私お友達なんてあなたしかいないわよ」

また楽しそうな笑い声が響く。その時、賑わいを強めの木枯らしがひとつ吹き抜けた。

 

 

「外は寒いから、中に入りましょ?お茶を煎れるわ。そうそう、今日はシモン先生の御誕生日なのよ。

先生もあなたに会いたがってたわ、アルマ覚えてる?」

そういってオヴェリアが院を指すと、楽しそうなアルマの顔が少し曇った。

「あ……オヴェリア、あの……」

「……どうしたの?」

「それがね…、上のお兄様が出陣を控えてて、急がなくちゃいけないの……だから、その……」

口籠るアルマ。あたりに気まずい沈黙が流れた。オヴェリアは落胆を隠せない様子だった。無理もない。

思えば数日前から彼女は喜々としていた。シモン先生のお祝い、というだけでは説明が足りないほど。

よほど楽しみにしていたのだろう、唯一の友達とのひとときを。

オヴェリアの孤独さをよく知っているだけに、アグリアスは胸が痛かった。アグリアスが、彼女の沈んだ肩を

慰めようとした時、突然沈黙は破られた。

 

「クエーッッ!!」

「うわっ!こ、こらっ。静まれボコ!」

ラムザの連れていた大人しそうなチョコボが暴れだしたのだ。慌てて抑えにかかるも、小柄な彼はいとも

簡単にはねとばされ、チョコボは森に向かって駆け出していった。

「待てッ!」走り出すラムザ。アグリアスもまた、唖然としている二人を尻目にその後に続いた。

「お手伝いしましょう」

「えっ…あ、でも……」

「わかっています」

「…え?」

「皆から見えない所まで行ってから捕まえましょう。そうすれば、アルマ様達にはわかりません」

「……!」

「その後は散歩でもしてゆっくり帰りましょう。このあたりには詳しいので、御案内できますわ」

そういうとアグリアスは悪戯っぽく笑い、ラムザも嬉しそうに笑みを返した。先ほど、ラムザがこっそり、

後ろ足でチョコボの腹をしたたかに蹴ったのをアグリアスは見ていたのだ。

頭上では、昇りきった太陽がゆっくりと下りの弧を描き始めていた。

 

 

 

 

 

「ほら、綺麗でしょ?とっても貴重な宝石なんですって」

「ほんと……。想像してたよりずっと綺麗……」

静粛な礼拝堂の中、オヴェリアは自慢の宝石をアルマに披露していた。

「見てると、なんだか吸い込まれるみたいだわ……中に字が…、紋章……?」

「そうなの、石の中に処女宮の……えっ…!?」

二人は目を見張った。一瞬の事だったが、石は目も眩むような、それでいて吸い付けられるような

まばゆい光を放ったのだ。突然の事に二人は呆気にとられる。顔を見合わせるが、オヴェリアはこんな光を

見たことがないのでわけが分からない。やがてどちらともなく、恐る恐る石を台座に戻した。

「……そういえば、お兄さん達はだいじょうぶかしら?」

気を取り直すようにオヴェリアが口を開く。もちろん本心では彼らが戻ってこないのに越したことはなく、

それはアルマも同じだった。

「大丈夫でしょ、お兄さん頼り無さそうだけどアグリアスさんも一緒だったし」

「うーん……アグリアスが一緒なのよね…。……失礼なことしていないといいけど」

そういうと、オヴェリアは不安げに窓の外に目を向けた。彼女の予想は当たらずとも遠からずであった。

 

 

「すみません……」

「いえ…、あなたのせいじゃないですよ」

ペコペコと頭を下げるアグリアス、それを慰めるラムザ。先程から何度かこのやり取りを繰り返している。

アルマとオヴェリアに時間を作ってあげようと、先刻ラムザは芝居をうった。チョコボをわざと逃がし、

それを捕まえるのに時間がかかったという口実を得る、そこまではよかった。だが、いざ距離をおいて

追っていたチョコボとの間を詰めようとしてみれば、予想以上に混乱したチョコボの足は速く、おまけに

「あっ」

と隣から聴こえてくる声が彼を引き止めた。後に続いてきたアグリアスの声だった。

 

 

 

少し考えれば分かるが、ドレスで(しかもアグリアスの着ているのは身体のラインに見事に沿っているもので)

走り回るなどというのは土台無理な行為なのである。走る度に、たくし上がりそうな裾を気にしてあたふた

している内にアグリアスはラムザからどんどん離され、ラムザもラムザで放っておけるわけもなく、

まごまごしている内にとうとうチョコボの姿を見失ってしまったのである。そういうわけで、実際チョコボ

逃がしたのはアグリアスのせいなのだから、彼女が謝るのも無理のないことだった。

まったくアグリアスにとって今日は厄日であった。慣れないことなどするものではない、一体朝から何度

失態を重ねたことやら。

それも自分が困るのならまだしも、余計なことでこの妹思いの少年にまで迷惑をかけてしまっているのが、

一層情けなかった。オヴェリアの揶揄から逃れよう、という邪念もあったためか、自然頭が下がる。

「あの……」

慰めてもしょうがないな、とラムザはいい加減で切り上げた。

「散歩、しませんか?歩いている内に見つかるかも知れませんし、御案内していただけると……?」

「は……あ、えぇ、そうですね。それじゃ……、向こうに湖がありますのでそこから…。

チョコボが水を飲んでいるかも知れませんし」

「ええ、お願いします。……あっ、そうだ!」

「…!なっ、なにか?」

「お名前、伺っていませんでしたよね?」

「あ…」

そういえばそうだった、まったく、どうしたんだ私は。こんなに動転して……、

「えと……私は、ア…アリシア……」

「アリシアさん、ですか?」

「!?あっ、いえそのっ…」

やはり相当動揺していたらしく、つい普段怒鳴り慣れている名前が口をついて出た。慌てて正そうとするも、

「素敵な名前ですね」

(あう……)

ニッコリと笑い、無邪気に自分を覗き込むラムザ。その瞬間彼女はアリシアにされてしまった。

「それじゃあ行きましょうか?」

ラムザは軽快に歩き出したが、アグリアスの頭はまだ、むしろ先程より下がり気味であった。

 

 

 

「本当は兄が来るはずだったんですが、父が僕に迎えに行くようにと」

「さっきのアリシアさんじゃないですけど、実は僕よく女性と間違えられまして」

「妹にも最初間違えられたんですよ、後で聞いたらわざとだったらしいですけど」

森の中を並んで歩く二人、ラムザは絶えず喋り続けているが、隣のアグリアスはぼんやりとした様子だった。

「そうですね…」とか「それはそれは」と冴えない相槌を返すのみ、気落ちしていた彼女の頭は、彼の声を

左から右へと流すばかりであった。ラムザはそれでもお構い無しに喋る。

そのうち、突然ラムザの視界が揺れた。

「うぶっ!」道脇に生える幹の一つから突き出た悪戯な枝が、横を見ていたラムザの顔を遮ったのだ。

「っ……だ、大丈夫ですか」

声をかけつつも、彼の顔がひしゃげる瞬間を見ていたアグリアスは、内心不謹慎な笑いがこぼれそうなのを

必死でこらえていた。

「だ、大丈夫ですこれぐらい。前なんか、ボコに乗っている時に木にぶつかったことがありましたから、はは…」

ボコ…というと、さっき逃げた…。大切なチョコボだったのか、本当に迷惑なことを…。

「あ、アリシアさん。湖ってあれですか?」

うなだれかけたアグリアスは顔を上げる。ラムザの指先には鏡のような湖があった。

 

「水を飲んでるかも…と思いましたけど……」

「……凍って…いますね」

鏡に見えるはずである。小さな湖は高地の寒さで氷へと姿を変えていた。

「結構厚いですね」

「ええ、この季節になると人が乗れてしまうほどでして…」

「えっ、本当ですか?」

ラムザは嬉しそうな声をあげて、次の瞬間彼は氷湖に乗り出していた。もの珍しそうに氷を踏みしめ、

ツイツイと滑っている。無邪気なものだ。アグリアスはまたぼんやりとその様子を見ていた。

「アリシアさんも……うわわっ!」

岸のアグリアスに手を振ろうとした途端、ラムザは強烈に転んだ。アグリアスがとっさに駆け寄ろうとすると、

ツツーーー………と転んだままの格好で滑ってくるラムザ。おまけに御丁寧にアグリアスの足下で止まった。

ポカンとするアグリアス。起き上がろうとしたラムザがもう一度転んだ所で、彼女は遂に思いきり吹き出した。

 

「ぷっ、ふふっ、あはっあはははははははははっ!」

「……ははっ、あははは!」ラムザも尻をついたまま笑った。森に二人分の笑い声が響く。やがてラムザは

ズボンをはたきながら「よかった」と、呟いた。その言葉でアグリアスはようやく気付く。

そうか、さっきからずっと私を笑わせようとしてくれていたのか。だからわざわざ子供のような真似を。

本当に優しい子だ、私のほうがよっぽど幼稚ではないか。

アグリアスはラムザに手を差し伸べた。するとラムザはさっきのように跪き、それに口付ける真似をした。

もう一度響く笑い声。いつのまにか、落ちこんでいたアリシアさんはいなくなっていた。

 

それからしばらく、アグリアスは見知った道をラムザと連れ立って歩き続けた。いつのまにかチョコボ

探すという目的は薄れ、彼との散歩に足の疲れも感じず心を和ませていた。少年とはいえ、男相手に自分の事を

これだけ話したのは、彼女には初めての事だった。

ふと、風が吹いてアグリアスはくしゃみをした。

「……あぁ、だいぶ時間経ってたんですね。そろそろ戻りましょうか?」

そういいながら、ラムザは上着を脱ぐとアグリアスに手渡した。少し戸惑いつつ、彼女は素直に受け取ることに

した。普段の私なら受け取らないだろうな…、そんなことを思いつつ羽織った毛皮は暖かかった。

「ありがとう、では帰りましょうか。……ごめんなさい、チョコボを……」

「いえ、いいんです。最初に逃がしたのは僕ですし」

白々しいことをいう。隠そうとしても、顔が寂しげなのがすぐ分かる。つくづく優しすぎる子だ。

なにかしてあげたかった。今日は彼の世話になりどおしだ。やがて、アグリアスはひとつ思い付いた。

「……では、こちらから帰りましょう」

「えっ?修道院はあっちの方じゃ…?」

「いえ…、道が楽ですから。さあ」

そういわれれば、逆らう由もない。ラムザは頷き、アグリアスの案内通り歩き出す。それを確認し、

ひっそりとアグリアスは微笑んだ。

 

 

「アリシアさん」

「なんでしょう?」

「あのー…、随分急ぐんですね」

「そうですか?」

さっきから彼女はいやに早足であった。それに、先程の説明とは裏腹に二人が歩いているのは

ごつごつとした岩場。一体彼女がどこに向かっているのか、ラムザは少し不安になっていた。

既に日も暮れかけていて、あまり遅くなると面倒なことになりかねない。

もう一度声をかけようとした時、アグリアスの足は止まった。

「間に合ったみたい」

「え?」

振り返る彼女の顔は笑顔だった。ラムザがその隣に来ると、彼の瞳を美しい世界が満たした。

彼方に見える山々、その間にまさに陽が沈みこもうとして、最後の紅い光を放っていた。荒涼とした

山の樹木がそれに照らされて、

「山が……燃えている」

そう、まるで山を焼き尽すような、恐ろしくもそれはどこか惹き付けられる光景。アグリアスだけの

秘密の場所だった。

「これを……見せようとして?」

「ええ…、間に合って良かった…」

「……でも、どうして?」

チョコボのお詫びと……、それと…お礼です」アグリアスは顔を赤らめた。陽がそれを隠してくれるのが

ありがたい。

 

「子供のころ……私は王女様に憧れていて。もちろん幼い夢だって知っていたから諦めていたけど、

だから王女様の護衛の騎士になろうとしたんです。でも、今日ラムザさんが私をオヴェリア様と

間違えてくれたから……、なんだか少しだけ夢がかなったような、

私にも守ってくれる騎士ができたような、そんな気になったんです。その……お返し…というか、あの」

「…それじゃあ、城までエスコートさせていただけますか。王女様?」

「……お願いしますわ」

ラムザはことさら嬉しそうに笑うと、颯爽と礼をした。そしてアグリアスの手をとる。

(本当は……騎士ではなく、私の……)

 

彼女はもう一度消え行く夕陽に目を戻した。目を閉じても、瞼に焼きつける陽射しは眩しい。

やがて、彼女の瞼には幕が下ろされていった。

 

 

 

 

パチン、と火の粉の弾ける音。

再び瞼を上げた時、焼けるような夕陽の赤はちいさな焚き火に変わっていた。身に纏っているのは

着慣れたチュニック。上着はむず痒い毛布になっていた。

(………夢…だったのか……)

周りを確かめると、誰かに抱きかかえられている。ぼんやりと首をもたげると、頭上から

「起こしちゃいましたか?」と、すまなそうな声。

顔など見なくても、その声も、匂いも、腕も、もたれかかっている胸板も。それが誰だか瞬時に告げていた。

 

 

 

「起きていたのか…ラムザ」

「ええ、見張りが二人とも寝てたら問題ですからね」

「すまないな、いつのまにか寝入ってしまっていたようだ」

「いえ、アグリアスさんの可愛い寝顔が見れてよかったです」

「………」

にこにこと、ラムザは突拍子もない台詞を吐く。アグリアスは真っ赤になる。ラムザははお構い無しに、

さらさらと彼女の髪を梳いている。さっきまで私が寝ている彼の髪をそうしていたのに、いつのまに

入れ代わったのだろう。アグリアスは火照った頭であてのない考えを巡らせながら、照れ隠しに空を見上げた。

「あ…、その…。こ、今宵は星が綺麗だな。山の中だからだろうか」

「ええ、月があんなに明るいのに…。いい夜ですね。本当に、綺麗だ……」

見上げるラムザは幸せそうだ。その顔は、あの日見た時と同じもの。

結局アグリアスはラムザに名前を告げることなく別れた。こんな出会いは一度きりだろう、そう思っていた

のだが、後に意外な所で再会したわけだ。

アグリアスは、彼の変わり様に驚きながらも、一目でそれがラムザだと気付いた。それ以来、彼が自分に

気付いて話しかけてくるのを心待ちにしていたのだが、ラムザは予想外の鈍さで全く気付かない。もちろん

アグリアスの変わり様も負けず劣らずなので無理もないのだが、そこは自分はすぐ分かったのに教えるのは

「癪」なのである。終いに業を煮やした彼女は、

「ラムザ!お前はベオルブの人間なのか!?(気付けコンニャロウ)」

などと分かりきったこともいってみたが、結果は薄弱。

アルマはすぐに気付いたらしいが、オヴェリア同様「観て」楽しむ部類である彼女は何の助けにもならなかった。

そのうち、アグリアス自身どうでもよくなってきた。ラムザが自分を好いてくれていることが分かったからだ。

彼女は諦め、結局今に至るまで、ラムザは彼女に気付いていなかった。だけど、なぜか今夜はラムザに気付いて

欲しくなった。夢のせいだろうか、それともこの冬空のせいなのか。アグリアスはラムザに問いかけた。

 

 

 

「…ラムザ、アリシアという女性を知らないか?」

「アリシア…?アリシアって…ラヴィアンとアリシアじゃなくて?」

「いや……違う、オーボンヌ修道院で…オヴェリア様に昔仕えていた、とお聞きしてな。ラムザはその頃に

オーボンヌに訪れたことがあったんじゃないか?」

「あぁ……あの時の………、アグリアスさんのお知り合いだったんですか?」

「い、いや私は会ったことはない。……どんな人だった?」

「多分…………僕の初恋のひとでした」

へ?とアグリアスは顔を上げる。ラムザはポリポリと頭をかいている。

「とても綺麗な人で…、優しい人でしたよ。そうそう、アグリアスさんに似てるかも知れませんね」

「へ、へえ…そうか」それは似てるだろう。

「そうだ!あの時って、アルマを修道院に迎えにいった帰りだったんです。あの頃アルマにも初めて会った

んですよ。それで、オヴェリア様と友達で、僕チョコボを……」

ラムザは弾けるように語りだした。相槌をうちながら、アグリアスはなんだかくすぐったい感じがした。

やっぱり、このままでもいい。ラムザは昔も今も私を見てくれているんだから。

しかし、人違いをしているラムザはいささか余計なことを喋り過ぎてしまった。

「ところがですね、アリシアさんドレスが……、なんというか、ええ、似合ってないんですよ。あはは!」

「………え?」

「女性だけど、やっぱり護衛なんですね。筋骨隆々というような身体で、それでドレスがピッタリだから…」

「………筋骨…?」

「僕、横で見てて殴られたら痛そうだなーとか思ってたんですよ、はは。

それで怖いから、僕の上着を渡して着てもらったり……あれ、アグリアスさん?」

不穏な空気にラムザが気付いた時には、既に怒り心頭のアグリアスは不貞寝に入っていた。

「あ、あの……昔の事ですよ。僕が好きなのはアグリアスさんだけですよ?」

「ふん」

取りつく島もない。ラムザはわけも分からず、ただ息をつくしかなかった。

アグリアスはカッカとして、ラムザの胸に頭を擦り付けていた。

 

ドレスが変だと?…無礼者め、頼まれたって、二度と着てやるものか。

今度夢を見たら、文句をいってやる……。

 

 

 

 

しばしの時が流れ、すうすうという寝息が胸の中で聞こえだした。

ラムザは山一つ向こうに聳えるオーボンヌに目を向けた。

 

ここを訪れるのは、いつも冬だった。

一度目は、暖かい、忘れえぬ出会いを遂げて。

ニ度目は、張り裂けそうな悲壮を胸に抱いた。そして今度は……

 

あまりにも多くを失ってきた。もう何も失いたくなかった。失うのなら、せめてそれが我が身で欲しかった。

何よりも、この腕に抱いた温もりだけは……

 

再び火の粉が弾け、舞い上がるそれを追ってラムザは空を仰いだ。祈りたい気分だった。

神にすがるのは嫌だった。自分はその神に抗おうとしているのだから。

双瞼を閉じると、彼は漆黒の夜空に静かに想いを馳せた。

 

 

空からは、静かに雪が降りそそごうとしていた。

 

~fin~

 

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