FFT_SSの日記

インターネッツにあるFFTのSSや小説を自分用にまとめてます。

【FFT SS】我輩はボコである

 

吾輩はチョコボである。名前はボコという。

どこで生まれたのかあまり定かでない。

なんでも薄暗い巣の中で、卵の殻を尻にのっけて

クエクエ鳴いていたことだけ覚えている。

 

 

それが長ずるに及んで吾輩の住処となったアラグアイの草原でないことだけは確かだが、ではどこなのかというととんと見当がつかぬ。

 

ただとんでもなく遠い所に違いないという、

その証左の一つは吾輩の名前であって、

この近在のチョコボといえば、

アイスキュロスだのペンテシレイアだの、

飼い主もいないのに誰がどうして名付けたかというような麗美な名前が並ぶ中に、

吾輩だけはたったの二文字である。

 

他にこんな名前の者を見たことはない。

誰が吾輩に名を付けたのか、これまたまったく覚えておらぬが、

まるで風俗の異なる土地の生まれだと考えるのは間違いではなかろう。

 

かくのごとく生まれがわからねば、

必然どこからこのアラグアイに来たのかも皆目覚えておらぬが、

さいわい我々チョコボは生来旅人の性で土地柄などをあまり気にしない。

 

トレント達のように、

余所者が根を下ろそうものなら総出になってこれを排斥するというようなことはないので、特に不自由なく日々を楽しく暮らしていたところが、

ある日の散歩中ゴブリンの襲撃を受けた。

 

ゴブリン属と我々は古来種族的な対立関係にある。向こうの言い分からすれば、

人間の乗用には大人しく供されるくせに、

なぜ自分たちを乗せないかということが気にくわないらしい。

 

こちらにしてみれば人間だって好んで乗せているわけではない。まして、

あんな毛むくじゃらで臭いにおいのする小まっちゃくれた連中を背中に跨らせるなどは

まったく御免である。

 

さておきアラグアイの森のゴブリン共は我々と同様に木の実や雑穀を好んで食べるので、生態学的見地からいってもはなはだ折り合いが悪い。

 

今年は冷夏と長雨で実りが乏しく、

食べ物の奪い合いがことさら険悪になっていたところへふらふらと森へ迷い込んだりしたのは、まったく吾輩の迂闊と言うほかはなかった。

 

集団で取り囲まれて、チョコケアルも追い付かず、これはもう駄目かと観念しかけた所へ天佑が下った。天佑とはすなわち人間である。

 

 

「こんなところにチョコボが!」

「ゴブリンの森に迷い込むとはマヌケなチョコボだぜ」

 

大いにその通りで、返す言葉もない。

現れたのは五、六人ばかりの、戦いの支度をととのえた人間達の集団であった。

 

「飼い慣らされたチョコボより野生のチョコボの方が強いって、以前ディリータが言ってたっけ」

「オヴェリア様をお救いするのに役立つかもしれないが……」

 

何やら勝手なことを言っている。彼らがどういう用事でここを通りかかったのかその時は知らなかったが、

 

しばらく話しあった末、彼らはその用事を一時中断して吾輩のためにゴブリン共を駆逐してくれることに決めたらしかった。

かくて吾輩は今の主人、ラムザ・ベオルブと出会ったのである。

 

主人ラムザがその時分何をしていたのか、実は吾輩には今もってよくわからない。

王女だか誰だか、やんごとなき身分の方を追いかけていたらしいのだが、追いついて

取り戻したと思ったら別れ、別れたと思ったら又追いかけ、人間というものは物事をむやみに込み入らせるからいけない。

 

その王女を助けるのに役に立つとか立たないとか、

そんなことで窮地にある吾輩の命を天秤にかけていた怪しからん女騎士がいたが、

それでつまるところ吾輩が役に立ったのかどうかも判然としない。

 

さておき、

その女騎士に部下が二人おり、それが吾輩の世話係兼調教係にあてがわれた。

どだいメスというものは種族にかかわらずかしましいものと決まっている。

 

ラヴィアンとアリシアというこの二人がかわす会話によって、

吾輩は自分の身柄をあずけたこの一党の様子をだいたい伺い知ることができた。

 

「アグリアス隊長、今日もあまり召し上がらなかったわね」

「あのガフガリオンて男のせいよ。まったく腹が立つったら」

「この間私、お尻をなでられたのよ。どうしてあんな人に傭兵団長が務まるのかしら」

「部下には結構いい男もいるのにね。ラムザってあの人なんか、結構腕も立つじゃない?」

「私は少し気味が悪いわ。最初は大人しそうだったのに、なんだか人が変わったみたいで」

「頼りになるからいいじゃないの。顔は子供っぽいけど」

「隊長によからぬ気があるのかも知れないわ。この間話した時、きれいな人ですね、なんて

言うのよ」

「そりゃ誰だって言うでしょ。うちの隊長美人だもの」

 

ざっとこんな按配で、中身のないことおびただしい。

アグリアスというのは彼女らの上司の、吾輩の命を天秤にかけた女騎士の名前である。

 

彼女らの話は半分方がこの堅物の上司の話題で占められていた。

アグリアス自身も時たま吾輩の様子を見にか、それとも部下の監視のためか姿を見せることがあったが、吾輩を見てもねぎらいの言葉ひとつかけるでなく、

口を開けば堅苦しい騎士言葉で、つまらない女だと思ったのを覚えている。

 

当時、吾輩は隊に一頭きりのチョコボであったから、

その忙しいことは実に類をみなかった。

 

昼間は敵に遭わなければ荷馬車をひき、遭えば戦いに出ねばならぬ。

夜はチョコケアルで傷ついた人間達の治療をし、急ぎの旅とて強行軍で進むことがあれば夜通し荷馬車を牽いて歩かねばならぬ。

 

まったく羽がすり減るほどの忙しさであったが、

食事は朝晩たらふく貰えたし、

ブラシも一日おきにかけて貰えるのでさほど不満はなかった。

我々チョコボは人間達のように、人生にいろいろ余分なものを求めたりはしないのだ。

 

 

しこうして戦いの日々がいくばくか流れるうち、

主人の運命はだいぶ激しく揺れ動いたようだった。

 

アグリアスとはライオネルにある陰気くさい城で別れたが、

後からひょっこり戻ってきた。

 

もう一人髭面のガフガリオンという男は、

ゼイレキレの滝で敵の回し者であると判明し、袂を分かって以来姿を見ない。

 

しばらくたってから聞いたが、

吾輩の出なかったどこやらの城門の戦いで主人が斬ったそうである。

 

ルザリアに入った時には皆が急に落ち込んでしまって、

何ごとかと思っていたら、

主人とその一味がまとめて異端とか何とかいうものに指定されたらしい。

 

これは人間特有のあの宗教という莫迦々々しいものにかかわることで、

吾輩の理解の外にあるが、

ともかくも主人は世間に顔向けできない身分にされてしまったらしかった。

 

吾輩の生活にはそれほどの転変はなかったが、

ただささやかな変化としては、戦場に出た時に人を乗せることが多くなった。

 

以前は吾輩のチョコケアルが戦線における回復の要だったのが、

兵達の練度が上がり、他の回復手段も充実してくるにつれてそれほどでもなくなり、

かわって乗騎としての吾輩の足が重宝されるようになったものである。

 

好んで乗せているわけでない、などと先に書いたが、かといって必ずしも嫌々やっているわけでもない。

ぴかぴかに磨き上げた鎧を着込んだ騎士を背中に乗せて、

勇壮な鬨の声を聞きながら胸を張って戦場をゆくのはなかなかに勇ましい気分のするものである。

 

戦いは上の人間に任せておればよいので、固い鎧をおもいきりつついてくちばしを痛めることもない。

吾輩の背中に乗るという栄誉を誰が賜るか、それは時と場合によって様々だが、

一番多かったのはあのアグリアスという女騎士であった。

 

吾輩に騎乗するということは吾輩の足を借りるということで、つまり彼女はそれだけ足が鈍(のろ)かったのであろう。

 

人間達はこのチョコボの乗り心地がいい、このチョコボは今一つだなどと、ひとの背中に間借りしておきながらいろいろ贅沢を言うが、我々の側にだって乗せ心地というものがある。

 

いったいに男よりは女の方が、やわらかい脂がよく付いていて感触がよろしい。

同じ理由で年寄りよりは若い方がよく、重いのはよくないが軽すぎるのもいけない。

吾輩の主人は男にしては尻がやわらかく、体躯も小柄なのでまずまずの乗せ心地である。

最悪だったのは一度だけ乗せた髭面のガフガリオンで、

骨格がごつい上に身が筋ばっていて、乗せて歩くと何だか妙な生き物が背中へ喰いついているようであった。

おまけにとがった鎧を着けた足でしじゅう吾輩の脇腹を乱暴に蹴るものだから、

たった一度の戦いで吾輩の腹の羽がみんな禿げてしまって、もう二度と乗せないと決めたっきりおさらばとなった。

 

そうした点から言えば、アグリアスの乗せ心地はなかなかに悪くなかった。

見た目は細いが着痩せというのか、尻を乗せてみると案外にむっちりした弾力がある。また乗り方の巧拙というのもあって、彼女はすこぶる達者であった。

 

微妙な手綱さばきを感じ取ってさっと敵に肉薄し、一刀のもとに切り倒して身をひるがえし、呼吸を合わせて深い沢を一息に跳び越える様などは、自分で言うのも何だがちょっとした絵に描いてもらってもいいほどだとひそかに思っている。

 

かくのごとく吾輩の世話になっているので、

先方でも吾輩に対する親しみがわいてくるらしい。

 

時折、部下のかわりに自分で餌と水をもってきて、

吾輩の背中にブラシをかけてくれたりするようになった。

 

そういう時、彼女はきょろきょろと落ち着かなげに周囲に目を配り、

まるで人目をはばかるような様子をすることがある。

 

なぜそんな真似をするのか、吾輩の世話をするのはそんなに恥ずかしいことかと訝しんでいたが、やがて謎が解けた。

 

ある晩、

いつものようにブラシかけを終えたアグリアスは、周囲に人目のないことを確かめると、おそるおそるといった風情で、おもむろに吾輩の羽の中に顔をうずめたのである。

 

はばかりながら吾輩、毛並みには少々自信がある。

話があと先になるが、ずっと後になってクラウドという新参者が入ってきたとき、

一目見るなり、「海チョコボかと思った」と言われたことがある。

 

何のことかわからなかったが言葉の調子からして誉められたらしいのでくちばしを高くしていると、ふかい黄金色にかがやく羽を持つ最高のチョコボだと説明されてますます得意になった。

 

アグリアスはその吾輩の毛並みに、どうも前々から目を付けていたらしい。

世話にかこつけてこれを味わおうと目論んだものの、

気恥ずかしくてなかなかできなかったのが、

今晩思い切って実行に移したということなのだろう。

 

「ふかふかだなあ、お前は……」

 

などと言わずもがなのことを言って、吾輩の手羽のあたりに頬をのっけて、これが同じ

人間かと思うようなゆるんだ顔をしている。普段は眉をつり上げて偉そうな顔をしているのに、なんとも可愛らしいものではないか。

 

しばらくして堪能したアグリアスは顔を上げると、どこで摘んできたのかギサールの葉を一房くれ、口止めをするように人差し指を唇に当ててみせて、またきょろきょろあたりを見回しながら去っていった。

 

もとより他人の秘密を吹聴するような下品な性根は持ち合わせておらぬが、

口止め料までもらってはますます口が堅くなるほかはない。

吾輩は息をひそめて彼女を見送ってから、みずみずしいギサールの葉の青いところをゆっくりと味わった。

 

以来、時々こっそりやって来ては吾輩の羽毛に顔をすりつけるのは、アグリアスと吾輩のひそかな習慣となった。

 

先に述べた通り、吾輩はラムザ一党に随行する唯一のチョコボであったが、戦いを重ねるうちに身内も装備も増えつづけ、馬車一台ではいいかげん間に合わなくなってきた。かくて、吾輩にも後輩ができたのである。

 

名を闇風とカリュオペーという。

 

闇風は黒チョコボで、父親が東の方から渡ってきたらしい。

あちら独特のほそく尖ったくちばしをしている。無口だが思慮深い雄である。

 

カリュオペーは燃えるような鮮やかな羽色の赤チョコボで、ラッドという若いのがフィナス河で死にそうになりながら調教して連れてきた。

チョコボの常で驕慢にして乱暴だが、

そこを我慢してつきあってみるとなかなか気だてがさっぱりしている。

 

公正にして私心無きを旨とする吾輩としては恥を承知で言っておかねばならないが、

二頭とも若輩ながら戦いの場においては吾輩より強力である。

闇風はきたえた翼で人を乗せて空を飛ぶことができるし、カリュオペーはどうやるのか未だにわからぬが、はるかな天空から岩を呼んできて敵の頭上に落っことすことができる。

 

この二頭が加わってから、吾輩が戦場へ出る機会はめっきり減った。

もっともその分昼間の馬車牽きを頑張らねばならんから、必ずしも楽になったわけでもない。

しかしなんと言っても、身近に話し相手ができたのは嬉しい。人間達の会話を聞くのも

それはそれで楽しいものだが、

如何せんこちらからは言葉が通じないという恨みがある。

 

「しかし、何だね...」

 

ある晩、とうもろこしの粒をせわしげに噛みながらカリュオペーが言いだした。

 

「私は野生だった時分にもずいぶん色々の人間を見てきたけれどもね。どうも一番わからないのは、あの恋愛というやつだね」

「そうかなあ。僕は宗教というのが判らんが」

 

「あんなもの!」

 

カリュオペーはくちばしの間からキュウ、というような音を漏らした。

人間でいえば鼻を鳴らして笑ったのに相当するだろうか。

 

「我々だってドラゴンに遭えば畏れるじゃないかね。それと同じものさ」

 

そんな単純なものではあるまいと思ったが、吾輩は思慮深く黙っていた。

それを是認ととってカリュオペーが続ける。

 

「そりゃあね、素直につがいになってるのは結構だよ。

 だがわからんのは、好き合っていながらつがいにもならない、

 求愛さえしていない連中がいるじゃないか。

 雄と雌が求めあうのは生けるものの本性だぜ。

 この雌とつがいたい、この雄の卵を生みたいと思ったら、

 真っ直ぐにそうするのが本当だよ。

 それを何だ、

 うじうじと内攻してみたり、

 わざと気持ちと逆にふるまってみたり、

 挙げ句の果てに不器用な恋だなんてわけのわからん名前をつけて面白がっている。

 あれだけはまったく、理解を絶しているね」

 

翼を振り立てて朗々と弁ずるものだから、向こうの方で薪割りをしているラッドがこっちを見ている。

人目を憚らぬ演説好きには困ったものだが、主張自体は思い当たるところが

ないでもない。

彼はおそらく、ここ数日犬も喰わないような痴話げんかを繰り広げているタイラーとジルのことを言っているのだろう。

しかし吾輩は、それ以外になお典型的な例を一つ知っている。

こちらの方がより微妙なケースなので、

おそらくこの赤チョコボは気づいていまいから黙っていると、

それまで一心に地面をつついて小虫をほじくり出していた闇風が顔を上げてぼそりと言った。

 

「私らの隊長とアグリアス女史がそうだね」

 

すると我が意を得たり、とばかりにカリュオペーは大きく頷いた。

「正に然りさ。

あの二人が互いに憎からず思っているのなんて誰が見ても明らかじゃないか。

我々だけじゃない、人間達だって皆わかっているよ。

否本人同士だって気づいていない訳はないんだ、それでいてあのざまなんだからね」

 

してみると、彼は吾輩が思っていたのより目が利くらしい。

少しく驚いた顔をしていると、

それを違うように解釈したか、くちばしの端を持ち上げて、

 

「何だ、君は気づいてなかったのか。思慮深いようなことを言う割に、

存外鈍いんだね」

小馬鹿にするように言うものだから、吾輩も多少頭の毛が逆立った。

 

冗談ではない、戦場でならいざ知らず、

人間観察の眼力において間違っても彼らに後れをとるような吾輩ではない。

 

「気づいてないだって?莫迦なことを言ってもらっては困る。

言っておくが、あの二人が今のような状態になったについては少なからずこの僕に与っているんだよ」

 

今度はカリュオペーが、驚いた顔でこちらを見た。

闇風も首を曲げてのぞき込み、黒い珠のような目玉に吾輩を映している。

 

いらぬことを言った、と思ったがもう遅い。

あの二人の仲を推し進めるために吾輩が一助となったささやかな事件について、一席話して聞かせねばならぬようになってしまった。

 

その顛末についてここに述べるのは吝かでないが、その前にこれまでの経緯について

説明をしておいた方がよかろう。

 

そもそも、先にひいたラヴィアンとアリシアの会話からもわかるように、我が主人ラムザはかなり早い頃からアグリアスに好意を持っていたらしい。

吾輩が隊に加わった頃にはすでにそうだったらしいのだが、やんぬるかなアグリアスは極めつけの朴念仁であった。

 

男の手を握ったこともないこの女騎士はラムザの遠慮がちな好意にまったく気づかず、それでいて戦う仲間としてのラムザにはそれなりに好印象を持っているものだから、

それはそれは何度も巧まざる肩すかしをラムザに喰わせてきたらしい。

しだいにラムザの方が疲れてしまって、

アグリアスに対して好意を示し、

自分のことを好いてもらおうとする試みを諦めてしまった。

いわゆる、秘める恋というやつに移行したのである。

 

ところが皮肉なことに、ちょうどラムザが諦めた頃になって、

今度はアグリアスの方が目覚めだした。

 

つまり、男としてのラムザを意識するようになったのである。

 

そのきっかけが何なのかは一概にいえまいが、

ともかくも今度はアグリアスが追う側の立場となった。

 

しかしながら彼女は男の手を握ったこともない朴念仁である。

おまけに相手の男はとっくに諦めてしまっている。

 

そして好意を受ける立場になって初めてわかったことだが、実はラムザも相当の朴念仁であった。

 

かくして、お互い憎からず思っていながら遅々として求愛の進まない、カリュオペー言うところの理解を絶する状態が生まれたのであった。

 

吾輩が関わった事件とは、

この第一の状態から第二の状態へ移行するきっかけの一つともなったのではないかと思える出来事である。

 

 

アグリアスが時々こっそり吾輩の毛並みへじゃれつきに来ることについては先に述べたが、赤と黒の二色のチョコボが増えてもそれは変わらなかった。

どうやら吾輩の羽がもっとも肌触りがよかったらしい。

 

ある晩のことである。

例によって吾輩にもたれかかってうっとりしていたアグリアスが、

疲れが溜まっていたのか、そのまま眠り込んでしまった。

 

うたたね程度なら前にも何度かあったが、

この時は多少ゆさぶってもびくともしないほど深々と眠っており、

いささか戸惑いを覚えた。

 

涼しい風のふく秋口の晩のことで、起きていて風を受ける分には心地よいが、

人間が夜具もなしに眠ったら確実に体をこわす気温である。

 

立ち上がって振り落とせば目を覚ますだろうが、

緊張のほどけきった寝顔を見ているとそれも申し訳ないようで、

どうしたものかと困じ果てていたところへ、

向こうの天幕の端から我が主人ラムザが顔を見せた。

 

これこそ天佑である。

 

吾輩はアグリアスが頭をのせている右の翼だけを極力動かさないようにして、

残りの左翼と首をさかんに振り立てて主人の注意を引いた。

 

暗闇の中に吾輩の金色の羽は目立つ。

案の定、ラムザはすぐに気付いて何事が起こったかと小走りに駆け寄ってきた。

 

吾輩の翼に顔を半分うずめて、あどけない表情ですやすや眠りこけるアグリアスを発見

したときのラムザの顔こそは見物であった。

 

鬼の霍乱を見たような顔でしばし呆然と立ちつくしていたが、

やがて吾輩がわざわざ呼びつけた意味に気付いたのだろう。

急いで走り去り、すぐに毛布をかかえて戻ってきた。

 

「ありがとう、ボコ。ついでにもう少し動かないでいてくれるかい」

 

どうせここは吾輩の寝床で、あとは寝るだけである。

一向に構わないから「クエ」、と小さく鳴いて肯定してやると、

ラムザはアグリアスの肩へそうっと毛布を掛けまわし、その傍らにしゃがみこんだ。

 

そのまま何をするでもなく、にこにこと寝顔を眺めている。

別に吾輩の目をはばかって手を出しあぐねているわけではなく、

そのままで満足らしい。

 

カリュオペーの言い種ではないが、人間族の恋愛とはまことに迂遠なものである。

 

放っておいたらまだ当分眺めていたに違いないが、

生憎アグリアスの方がしばらくして目を覚ました。

毛布の重みで寝心地が変わったのだろう。

半開きのとろんとした目をさまよわせて、ほどなく自分にかけられた毛布と、それを持ってきた人物であるところのラムザに気付いたらしい。

 

少しの間の後、ものすごい勢いでその頬に血が上ってきた。

まだ食べたことがないが海に棲む蛸という生物は茹でるとこんな風に見る見る赤くなるそうだ。

「ラ、らむっ、ラムザ!?あ、あれっ、あの、なぬッ、どうしたのだこんな所で!」

 

後にも先にも吾輩は、この時ほど狼狽した彼女を見たことはない。

吾輩を蹴り飛ばしかねん勢いで跳ね起きたアグリアスは、

なおもまとまりのつかぬ言葉をいくつか口走って、

それからラムザに宥められてようやく落ち着きを取り戻したようだった。

 

頬はまだ赤い。

その後どういう会話が交わされたか、吾輩もだいぶ眠くなってきていたのでつぶさに覚えてはおらぬが、

要するにこのひそかな趣味については余人に語らず秘密にしておく、

という協定が二人の間に取り交わされたらしかった。

 

残念ながら吾輩だけの秘密ではなくなってしまったわけであるが、

翌朝の主人は滅多にないほど上機嫌で、

朝食に上等のはちみつ菓子を二つもつけてくれたので大いに結構だった。

一方アグリアスは上機嫌という様子ではなく、

朝からそわそわして落ち着きがなかったが、しかし決して不機嫌ではなかった。

 

「まあそんなところさ。それからも彼女はちょくちょく吾輩のところへ来るが、もう眠り込んだりはしないね。また同じことがあったら、主人を呼んでやろうかと思っているけれどもね」

 

吾輩は慎ましく話を終えて、とうもろこしの残りをかじった。

カリュオペーが大きく頷いて、

 

「いやまったく、君は善い事をしたよ。私もかねがね思っていたが、あの二人をどうにかしようと思ったら外力をもってする他はないね。

今度アグリアス女史を乗せることがあったら間違えたふりをして隊長の頭の上に投げ落としてやろうかと思っているくらいだ」

 

「まあ、ぼちぼちにしておきたまえ」

 

激情家のこの赤チョコボを放っておいたら本当にやりかねないので、

吾輩は内心多少の賛意をおぼえつつもやんわりとたしなめた。

闇風も小虫からこっちへすっかり興味が移ったらしい。

 

いつになく首を伸ばしてきて、

「だが、人間にもそれ相応の事情があるんじゃないのかな。大義をかかえている身で、

色恋にかまけたりするのは許されない、とか何とか、この間言っていたのを聞いたけれども」

 

アグリアスの足代わりとなる役目は吾輩から闇風に移りつつある。

ここのところは毎日のように彼女を背中に乗せていたから、

些細な会話も耳に挟むのだろう。

 

だがカリュオペーはまたしてもキュウ、と笑って、

「そんな科白を口にすること自体、本心では色恋にかまけたいと思っている何よりの証じゃないか。大体、いやしくも動物として生まれた以上、子を産み残す以上の大義がどこにあるものか。だから私が常々言っているように、人間はばかだというのだよ」

 

いつもの断定的な口調で勝手に話に結末をつけると、それで気がすんだのかカリュオペーは得意げに二、三回まばたきをして、あとはさっさと眠る姿勢に入ってしまった。

相変わらず我儘な雄である。

 

彼の人間理解は彼の性格同様、いささか単純で速断的に過ぎるが、

主張するところに理はある。

我が主人ラムザと女騎士アグリアスのはかどらぬ関係については、

我々のみならず、ざっと見たところではどうやら隊の人間ほとんど全員が、多かれ少なかれ気にかけているらしい。

 

人間とはつくづく暇な生き物だと思ったが、

結局の所吾輩らも大した違いはないのかもしれぬ。

そんな感慨を抱きつつ、その晩は眠りについた。

 

 

さて、上機嫌の話をしたからではないが、今度は不機嫌の話をしよう。

実のところ、

アグリアスはここ数日すこぶる不機嫌である。

原因ははっきりしている。

彼女は焼き餅を焼いているのである。

 

「アグリアス様、そんな風に怒っていらしては体に障りますよ」

「うるさい。下らんことを言う間があったら仕事をしろ」

 

しかも度し難いことに、彼女は自分でそのことを認めてさえいないのだ。

吾輩もカリュオペーに同意したくなってきた。

 

話はメリアドールという女騎士が主人に説得されて隊に加入してきたことに端を発する。

 

我々の隊には入ってくる者は多いが、出てゆく者は少ない。

この女は元々主人に敵対する一団の人間で、

ひとの身に着けた鎧や兜をぶち壊すという物騒な剣の使い手だった。

 

その特性ゆえに彼女との戦いには吾輩も久しぶりに駆り出されたので知っているのだが、どうやら彼女の弟が主人に殺されたとか、それが誤解だとか、何だかそういったような因縁があるらしい。

その辺のことはしかしあまり重要でないので、

問題はこのメリアドールがどうも主人を憎からず思っているらしいということである。

 

吾輩の見るところこの女、だいぶ武骨な部類には入るものの、

木石のごときアグリアスと比べればまだ相当に女らしさを備えている。

 

何しろ普段に女言葉を使うというだけで印象は違うものである。

またアグリアスより積極的でもあるらしく、ここ数日はあからさまな好意をもって

ひっきりなしに主人にくっついているのを見かける。

 

これはアグリアスがやりたくてもどうしてもできないことであり、

当然のこととしてアグリアスの旗色は悪い。

 

旗色が悪ければ挽回すればいいものを、

そこでつむじを曲げて内攻してしまうのがまた彼女の悪いところである。

 

今日は朝からラムザの顔も見ようとせず、

吾輩の寝床へやってきてむやみに掃除をしている。

 

見かねて部下二人が手伝いに参じたのがさっきのこと。

もとより簡易にしつらえただけの我々の寝床の掃除に三人もの人手は必要ないので、

後ろの二人はのんびりと手を動かしながら雑談をしている。

 

「でも、ラムザ隊長ってもてるのね。今日も朝からメリアドールさんと一緒で」

「オフェーリアがやきもきしてるのよね。

この前ラファに、隊長の好きな食べ物はって訊かれたし、

たまに街へ出て買い物なんかすると、店のおばさんや娘が騒いで大変なのよ」

 

一言ごとに神経を逆撫でするようなことを言うものだから、

そのたびアグリアスの箒をさばく手が荒々しくなって吾輩としては大変迷惑なのだが、どうも向こうは承知の上でやっているらしい。

 

とうとう、堪忍袋の緒が切れた。

 

「うるさいと言っているだろう、お前達!

さっきから聞いていればつまらんことばかり、

ラムザが誰に好かれようが嫌われようが、私達に何の関係がある!」

 

寝藁のいっぱいついた箒を留杭へ叩きつけたものだから、

藁がそこら中へ飛び散って、吾輩も人間達も大いにむせた。

それで毒気を抜かれて、アグリアスは憮然として掃除に戻る。

 

調子にのってラヴィアンは大げさにため息をつき、

アリシアはしずかに首をふってみせた。

 

この二人は元部下だけあってアグリアスの恋愛沙汰についてはきわめて関心が深く、

毎日我々の世話をする合間の雑談にその話題が出ない日はないと言ってもいい。

実のところ隊の人間関係、特にラムザを中心とする女達の問題に関する吾輩の知識は半ば以上をこの二人によっている。

 

「でもそういえば、今朝からラムザ隊長はアグリアス様に会いたがっておいででしたよ」とアリシア。

「…何?」

「メリアドールさんがずっとついていたから、ままならないご様子でしたけど。

アグリアス様はどこかって、二度も訊かれましたもの。

それなのにアグリアス様は魔物狩りにいったり、

こんな所にこもったりしてらっしゃるから」

 

「ラムザが私に特段話があるとは思えんな。大した用でもなかろう」

 

ぶっきらぼうに答えるアグリアスだが、強いてそうしているのは吾輩にもわかる。

ほんの数秒前までと背中の気配が違う。

だがアリシアはそれ以上何も発言せず、しごく真面目に掃除をしている。

 

アグリアスの方は自分から話を終わらせてしまった手前あらためて切り出すわけにも

いかず、やはり掃除を続ける。黙々と我々の寝床が綺麗になってゆく。

 

アグリアスの痺れがそろそろ切れようかという時、

アリシアが大きく息をついて箒とブラシを傍らに置いた。

 

「一段落しましたね。あとは片付けだけですから、私達だけでできますわ。

ね、ラヴィアン?」

 

「ええ」

 

と、ラヴィアンも大きく体を伸ばす。

 

確かに寝床のまわりはすっかり片付いている。

率直に申せばいささか過剰に綺麗である。

こんなに熱心に寝床の掃除をしてもらえたチョコボイヴァリース全土にもそうはおるまい。

それくらいだから、アグリアスにも返す言葉はない。

しばし立ちつくしてあたりを見回し、

ここに残る理由を探しているのか、ここを去る理由を探しているのか自分でも釈然としない風であったが、やがて勃然と胸中に沸き起こるものがあったらしい。

 

「では、うん。後は任せたぞ。しっかりな」

 

箒をそこらへんに立てかけると、吾輩への挨拶もそこそこに驚くほど足早に立ち去っていった。

ラムザを探しに行ったのに相違ない。

見送る二人は後片づけをしながらくすくす笑っている。

 

「二度も訊かれたって本当?」

「ううん、一度だけ」

 

実にもって見事な上司操縦術である。

この二人はラヴィアンが直球、アリシアが搦め手を担当しているらしく、似たような場面を吾輩は何度も目にした。

 

その後どうなったのか吾輩は知らぬ。

だが、次の日からアグリアスの不機嫌はいくらか収まったようであった。

その代わりにメリアドールの機嫌が斜めになったようだが、彼女は

普段から吾輩の世話など余りしてくれないのでさして問題はないのである。

 

「どうも、この次の戦いは生きて戻れぬ戦らしいね」

 

ある日、闇風がそんなことを言い出した。

オーボンヌに向かう、その道すがらのことである。

 

主人達の戦いが激化の一途を辿りつづけ、いよいよ決戦が近づきつつあるということは

周囲の空気からも察せられた。

 

戦う相手が人間ではなく、我々魔物でもなく、

もっと禍々しい何者かであることにも気付いている。

 

たとえ戦場に出ずとも、人間達が皆口をつぐんで語らずとも、

本能がそれを教えるのである。

最後の戦いが。

 

それもどうやら、

この人界から一歩外へ踏み出さずには終わらないような戦いが、

この先に待っていることは、

全身の毛を逆さにしごくような気配をもって吾輩らの満腔に実感されているのだった。

 

そんな具合で一同の気も引き締まってはいたが、

普段から余計なことは決して言わぬ闇風の口からそんな言葉が出ると、

それはまた格別の重みがある。

 

「ああいやだ、いやだ、冗談ではないね。そんな所へ連れて行かれては堪らないよ」

吾輩のうしろの荷馬車をひいていたカリュオペーが、大げさな声を上げた。

 

「どうどう」と、

御者のムスタディオが筋違いな宥めを入れるが、

例によって火がつけばいくらでも熱弁をふるうのがこの赤チョコボである。

 

「言っておくが臆病風に吹かれたわけではないよ。

命を懸けて、懸ければ勝てる戦いならば私はすすんで戦場に赴こうし、

今までだってそうしてきたさ。

だが、勝っても負けても戻ってこられないとあっては、これはわけが違うぜ。

我々はそりゃここの餌を食んでいるが、

その分こうして荷馬車も牽けば、戦場に出て戦いもする。

いわば対等の契約関係によって、この隊に身を置いているのじゃないか。

借りがないとは言わないが、貸しだって少なくはないんだ。

それを全部差っ引いた上で、

なおそんな場所に我々を引き具してゆく権利がラムザ隊長にあろうとは、

私は思わんね。闇風、君はどうだい」

 

我ら二頭の間を行きつ戻りつ歩く闇風は馬車を引いていない。

かわりに、

聖ミュロンド寺院で青いフードの男に深手を負わされたアリシアを背に乗せて、

そろりそろりと進んでいる。

アグリアスとラヴィアンが一緒に付き添って、心配げに歩いている。

 

「私は、主人の手綱のままに進むだけさ」

「おやおや、ご立派なことだね。東方生まれは忠義に篤いと聞いてはいたがね」

 

キュウ、という彼独特の鼻息もいくぶん大人しいのは、

闇風の上で紙のような顔色をしているアリシアを驚かさないようにとの気遣いであろう。

「じゃあボコ、君はどうなんだ」

「僕かい、僕はそうだな、どうしようかね」

「何だね、煮え切らないな。自分の命に関わることだぜ」

カリュオペーが苛立たしげに蹴爪で土を跳ねた。

ムスタディオがまたどうどう、と抑えている。

煮え切らないのはあまり気負ったことを言うのも好かなかったからである。

どうするかと問われれば吾輩の答えはとうに決まっている。

アラグアイの森で救われてから、

はや足かけ三年になんなんとする我が主人ラムザとのつき合いだ。

長きに渡る戦いがようやく終わろうとする時に、

主人の元を離れるなどとは考えも及ばない。

吾輩にはこの戦いの最期を見届ける権利があるに決まっている。

 

「いずれにせよ、馬車ごと修道院に突っ込むわけでもないだろう。

私らがついていくか、どうか、そんな心配は杞憂かも知れないよ」

 

闇風が低くやわらかい声で、至極もっともなことを言って、それで我々は皆ふたたび押し黙った。

 

ドーターの外れにさしかかったところで、その日の野営となった。

明日の昼にはオーボンヌが見えるだろう。

さすがに冗談口をたたく者もなく、皆押し黙って武具の手入れなどをしている。

闇風はアリシアを乗せたまま、アグリアスのテントの方へ行ってまだ戻ってこない。

カリュオペーは晩飯をたらふく食べたあと、座り込んで羽をふくらまして饅頭のようになってじっとしている。

彼なりに緊張しているのだろう。

先ほどムスタディオがやってきて、林檎を半顆くれた。

 

人間の中には追い詰められると、我々のような獣族を相手にしたがる手合いがいる。

人界の事情に囚われぬ我々に、安らぎのようなものを見出すのだろう。

獣界には獣界の事情があるのであって、勝手に安らぎを見出されても当惑するのだが、事ここに至ってそんな冷たいことを言うほど吾輩も酷薄ではない。

湿った草原に天幕を設営して暗くなりかけた頃から、

我々の寝床に引きも切らず隊の人間達が現れては、食い物の余りをくれたり、何くれとなく話しかけていったりするのを、一々嬉しそうに平らげたり、さも同意するように頷いたりしてやる程度は礼節というものである。

 

いったい人間というものは同じ人間を相手にする時には色々と体面を取りつくろうけれど、我々チョコボを相手にする場合にはそれほどでない。

こうしてチョコボをやっていると、人間には実にいろいろな顔のあることがわかる。

ふだん軽口を叩いておどけるムスタディオは、こうした時には存外肝が据わっている。

 

林檎をくれた時も、吾輩の首をかるく労るように叩いただけで去っていった。

反対に、戦歴が長い割に小心の抜けないのがラッドで、

カリュオペーの顔の横に座り込んで独白のような弱音のようなことをひとわたり吐いて、すっきりした顔で帰っていったと思うと、

しばらくしてまた青菜の束などを抱えてやってくる。

何度かそれを繰り返した後、しまいにラヴィアンに引きずって行かれた。

 

最近加わったばかりのクラウドという男は生来無口のようだったが、

さっきまで一言も口をきかずに吾輩の隣へただじっと座っていた。

どうも不気味である。

 

そのクラウドが黙ったままふらふらと立ち去り、吾輩もそろそろ眠くなってきた頃、

ラムザが現れた。

 

吾輩とカリュオペーを起こし、天幕の裏手を縫ってしずかに手綱を引いていく。

野営地の外れにくると、ふかい夜闇の中に闇風が待っていた。

傍らにアグリアスと、ラヴィアンが松明を持っている。

闇風の背には毛布でぐるぐる巻きにされたアリシアが固定されている。

 

これは帰らせるつもりなのだな、と、吾輩はすぐに察しをつけた。

アリシアの怪我は重く、どのみち戦いには出られない。

 

闇風と共に隊を外し、どこぞへ送り届ける手はずなのだろう。

そう思っていたが、事態は吾輩の予測を越えていた。

吾輩とカリュオペーを前へ押し出すと、我が主人は言ったのである。

 

「今から出れば、明るくなる前にドーターのスラムへ潜り込めるはずです。

城壁は闇風に飛び越えてもらって、ボコとカリュオペーは、適当なところで放してやって下さい」

 

臆面もなく吾輩の顔を見ながら、主人がそう言ったときの吾輩の心情をご想像いただけるだろうか。

吾輩は最初、主人が何を言っているのか理解できなかった。

やがて、言葉の意味が沁みとおってくるにつれ、

言いようのない憤怒が満腔を震わせた。

 

ラムザは吾輩に帰れと言っているのだ。

アリシアを抱えた闇風と共に、

アグリアスなりラヴィアンなりを乗せてどこかへ失せろと言っているのだ。

今のこの隊において、

ラッドを除けば最も古い一員であるこの吾輩を、

長い旅が今にも最後を迎えようとするこの時において除名しようというのだ。

 

これが大いなる不義でなくて何であるか。

吾輩は夜の静けさを破るのもかまわず、

両の翼を大きく広げてクワァーオと一声吠えた。

それだけではまだ足りなかったので、我が主人の頭のてっぺんにそっくり返った毛をめがけてがぶりと食いついてやった。

 

「痛ーっ!?」

 

ラムザが悲鳴を上げたが気にせず、

てっぺんの毛を食いちぎるばかりにくちばしを振り回す。

 

なかなか頑丈な毛だ。

ラヴィアンとアグリアスが止めに入ったので、仕方なく吾輩は口を離した。

 

叱られるかと思いきや、アグリアスは可笑しげにニヤニヤしている。

 

「ボコは怒っているぞ、ラムザ。ここまで一緒に来たのに何故今更別れるのかとな」

 

朴念仁の彼女にしては察しのいいことである。

同意と賞賛をこめて短く鳴いてやると、アグリアスはまた面白そうに笑って、それからラムザに向き直った。

「私も同じだ、ラムザ。私はここまでお前に附いてきたのだ。何故、今になって去らねばならん。この身をお前に預けると、私はそう言ったはずだ」

 

どうやらラムザは吾輩だけでなく、アグリアス達をも了承抜きに除名しようとしていたらしい。

我が主人ながら情けない話である。頭をさすりながらラムザが答える。

「ですから、アグリアスさんにはオヴェリア様という方が」

「オヴェリア様にはディリータハイラルがついているから心配ないと、言って私をとどめたのはお前だ。今になって言葉を違える気か」

「そういうつもりは……ただ、僕はあなたを」

「私に見送れというのか」

アグリアスの笑顔は消えていた。

真顔で、というよりはむしろ、

吾輩の鳥目が確かならば、泣き出しそうな顔をしている。

 

「還らぬかもしれぬ戦いへお前が向かうのを、残って見送れというのか、ラムザ。

この私に」

ラムザが何か言おうとして、言葉につまる気配がした。

 

カリュオペーが、居心地悪そうに身じろぎをした。

闇風が、夜の空気に溶けそうな低い声で、くう、と欠伸をした。

ずいぶん長い間ラムザが答えなかったので、アグリアスは勝利を確信したようだった。

 

松明をラヴィアンからひったくって、彼方のドーターの街灯りへかざす。

「では、お前はそろそろゆけ、ラヴィアン。アリシアをよろしく頼むぞ」

ラヴィアンはいくらか不満そうな顔をしている。

それも当然で、彼女も除名を承服していたわけではなかったのだろう。

たった今大演説をぶって除名を撤回させたその本人から、

さも当然のような顔をしてこんなことを言われるのは心外きわまるに違いない。

 

しかし、結局のところ上司には逆らえないのが人間の世である。

ラヴィアンの乗騎となる役目はカリュオペーが喜々として引き受け、

騎士二人を乗せた赤と黒のチョコボは闇の中へ消えていった。

 

同時に、吾輩も足音を潜めてきびすを返した。残った人間二人はそれに気付かない。

松明の灯もだいぶ小さくなり、お互いの顔しか見えてはいない夜闇のただ中である。

いかに人間族の恋愛が迂遠といっても、これほどあつらえ向きの時と場所を得て何も起きないなどということは有り得まい。

 

カリュオペーよりはいくらか人間観の深きをもって任ずる吾輩は、

二人の邪魔にならぬようしずかにその場を立ち去り、今やひどく広々とした寝床に帰って、ゆっくりと眠った。

 

 

 

有り得まい有り得まいと思っていたが、実をいえば少々見通しが甘かったかもしれぬというのが、今の偽らぬ心情である。

 

「ねえ、兄さん、本当によかったの?アグリアスさんと別れちゃって」

 

遠くから吹く風が残雪のにおいを運んでくる。

茫漠として広大なるフォボハムの大平原をひた駆ける吾輩の背にまたがるのは我が主人ラムザと、その妹のアルマである。

最後の戦いがいかなるものであったか、吾輩の口からはあえて語るまい。

今ははや総てのことに片が付き果て、吾輩と主人らは今ここにいる当人、アルマ・ベオルブの葬儀というだいぶ滑稽なものに立ち会ってきたところだ。

 

「言ったろう?あの人には本当の主人がいるんだよ」

 

アルマを鞍の前に乗せたラムザは手を大きく回して手綱をさばきつつ、

吹き付ける風に目を細めて言った。

 

命がけの戦いではあったものの、吾輩も女騎士アグリアスも、他の隊員らも、結局は誰も欠くることなくこの現世へ戻ってくることができた。

 

そして後始末の一しきりが終わった後、

アグリアスは至極あっさりとラムザに別れを告げて、

どこかへ行ってしまったのである。

 

正直、あの時は目を疑った。

あれだけの好機を得て、

なお我が主人は意中の雌と決定的なちぎりを結ぶことができなかったのであるか。

 

人間の情愛とはかくまで悠遠なものか、

それとも我が主人が特別に不甲斐ないのか、と。

 

吾輩の記憶によればかつて同道していた短い間、

ラヴィアンアリシアの二騎士に優るとも劣らず、

この二人の行く末を気にかけていたはずのアルマ嬢は、

しかし特段憤った風もなく言う。

 

「そんなこと言って、すぐ会いたくなるくせに」

「会いたければ、また会いに行けばいいからね」

 

答えるラムザの声も、また悠揚としている。

迂遠であるからといって、

それが希薄であったり脆弱であったりするとは限らないのだ。

 

人間の男女の仲とはつまりそういうものの一つであるかも知れぬと、

この頃吾輩にもおぼろげに察せられてきたようだ。

「アグリアスさんの方から会いに来てくれるかな」

「くれるといいね」

「家を探さなくちゃね。すてきな家を」

人間達の煩瑣な事情のことは吾輩には慮外である。

だが、このとりとめのない会話の暗示するところはそれなりに感得できる。

 

遠くない将来、我が主人とその妹でなく、主人とその妻を乗せて、同じこの草原を駆けるであろうという予感がする。 

見上げる空は高く、目路のかぎり草は青く、風はどこまでも遠くから吹いてくる。

 

 

~fin~

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