FFT_SSの日記

インターネッツにあるFFTのSSや小説を自分用にまとめてます。

【FFT SS】UNDER A VIOLET MOON

 

 

    前。後。

 白。黒。

 是か。否か。

 

 ――用意されているのは、ふたつの道。

 

 善。悪。

 無。有。

 

 

 

 アグリアスは跳ね起きた。それで、今まで己が夢の内にいたのだと気が付いた。

 未だ息は荒く、汗が頬を伝う。いやに湿った手の平を掛け布で拭い、深呼吸をすると、ざわめいていた胸はようやく落ち着きを取り戻した。

 また、妙な夢を見た。

 寝乱れたためにほつれて頬にかかった髪をかきあげる。窓から差し込む月明かりに照らされて手の影が掛布に細く伸びた。

 妙な夢。焦りをどこか覚えるような、そんな夢。この頃よく同じような夢を見ている。

 だが、一体何の夢を見ていたのかアグリアスには思い出せなかった。ただ嫌な夢を見ていた――、そんな感触だけがその度に胸に残っていた。

 不安や恐怖を胸に抱えもっていると、人は悪夢を見るという。

 ――何かを私は怖れているのか?

 起きぬけの眼がぼんやりと月夜の影を映し出す。暗闇よりも僅かばかり濃い影の色は、心に付いてしまった染みの色にも似ていた。

 かそけき光を受け、落ちた闇の色。

 それは、何。

 それは。

「分からない……」

 首を振り、僅かに残っていた眠気のかけらを吹き飛ばしてしまうと、アグリアスは寝台脇の机に置いてあった髪留めを取り、簡単に髪をまとめた。

 心に付いた染み。落ちた闇の色。それらは徐々に心に巣食っていくようですぐには眠れそうになかったのだ。

 寝台を降り、月明かりのみを頼りに服を着替える。そうして愛用の剣を手にすると、彼女は音も立てずに部屋を出た。

 

 

 

 星は見えず、紫色の薄衣を纏った月だけが暗藍色の空に輝いていた。

 紫色の月。

 余所の地では見ることのできない月の色は、この地の近くに生霊達が潜んでいることと深い関係があると考えられているらしい。

 夜、陽が落ちてから明けの明星が瞬くまでの間、生霊や魂達が同朋を求めて宙を彷徨い、徘徊した道筋が燐光となって空へ昇り月を彩る。そのために月が蒼みを帯びた紫に輝くのだ――、道行きの途中で出会った老人はそう話していただろうか。

 妖しく、そしてまた、神々しく空に浮かぶ月には確かにそういった類のものがよく似合う。

 剣が空を切る音が月明かりの夜に響いた。

 思い定めたとおりに剣を振るうと、影が剣を追いかける。より速く回り込み、剣を受け止める影を相手にアグリアスは剣技の確認をしていた。

 不安。焦り。惑い。

 迷いの心のままに敵と剣を交えることになれば、それは己にとって命取りとなる。そういったものを心から払い、削ぎ落とすために稽古をするのはアグリアスにとって有効な手段だった。

 影の向こうの見えぬ敵は振るった剣を綺麗に交わし、反動で鋭い一撃を加えんと襲いかかる。それを受け止め、なぎ払い、気合をこめて再び剣を振り下ろした。

 空気がびりりと震える。

 剣を振るううちにざわめく心は次第に研ぎ澄まされていく。心の中の靄は払った剣の先より飛び散っていった。

 かそけき光を受け、落ちた闇の色。それは、何。

 何を恐れているのか。

 夢が告げたものは何だったのか。

 刃が月光に煌めく。静寂の中、剣と対話するが如くアグリアスは剣を振るい続けた。

 

 

 用意されているのは、ふたつの道。

 交わることのない、ふたつの道。

 歩んできた道と、

 歩んだことのない道。

 

 

 梟がどこかで鳴いている。

 不意にアグリアスは動作を止め、剣の刃先を地へ向けた。ひとつ嘆息し、手近な木に凭れかかる。

 怖れているものは何か。

 答は見つかったといえばそうだし、未だ見えぬといえば、またそのようにも思える。甚だあやふやで、捉えどころがない。捉えてしまうことこそを怖れているのかもしれない。

 剣に誓いをたて、剣と話すを選んだ身。それなのに、とアグリアスは思う。

 手にした剣をふるうその意味は、自分の中に確かに存在している。迷い、見失ったこともあったが、今それについて迷う余地はない。喩えていうならばもうそれは空気のようなものなのだから。

 芳しいとはいえない戦況も、苦難も、屈辱すらもそれを揺るがしたりはしない。

 だが、心あたりを求めるとすれば。

 夜気に熱が奪われていくのを肌で感じながら答を探る。

 心あたりはあった。ほんの僅かにだが思い出した夢の内容がおそらくはざわめきを生み出した。

 夢の中、交わることのないふたつの道が自分の前にあった。平行線をどこまでも辿り続けるふたつの道。

 片方の道にアグリアスは立っていた。今まで歩んできたその道をそのまま歩もうとした時、しかし彼女の視界にふともう片方の道が見えた。

 歩んできた道と、歩んだことのない足跡もない真白の道。

 歩むことのなかったもうひとつの。

 けして交わることのないふたつの道。

 夢の中、もう片方の道を歩んでみたいと思っていた。思ってしまった。だからこそ胸はざわめき、焦りを覚え、自分に訴えた。

 夢は現実の裏返し。鏡のような、影のような存在。

 そこまでは先刻も剣を振るいながら考えたことだった。考えるまでもなく、胸に生じた染みの隣にそれはあかりのようにともった。

 だがその先を――、夢が何を指し示すのかを捉えることには怖れを覚えたのだった。見て見ぬふりをし避けて通ろうとした瞬間、剣を支え持っていた腕はいっかな動かなくなり、アグリアスはその場に立ち尽くした。

 夢は鏡のような、影のような存在。

 木に凭れたまま顔を上げ、瞑目する。瞼の裏に紫の月明かりが仄かに広がった。

 避けては通れぬ道に再度彼女は挑む。

 夢は現実の裏返し。ふたつの道は何を指し示すのか。歩んできた道とそうでない道は、やはり現実の己の道行きか。

 歩んできた道は日陰の道。信念を見極めた金髪の青年に付くを決め、そうして戦ってきた今までの時間。それを悔やんだことはなく、これから先、迷うこともやはりないだろう。

 では、もうひとつの道は。

 それはやはり、この道を選ばなかったならばおそらく歩んでいただろう道なのだろうか。ただし奈落に足を踏み入れていなければ、の話だが。

 近衛騎士として姫を守り続ける。それは確かに己にあったもうひとつの未来だった。今は閉ざされてしまった、それ故に交わることのないもうひとつの道。

「何故……」

 閉じた瞼を上げ、アグリアスは抜き身の剣を鞘に収めた。呟いた言葉は、刃に煌めいた月の残光と共に、草の上に転がり落ちた。

 梟の鳴く声。夜鳥の羽音。

 紫色の月は未だ頭上に輝き、夜は深さを増す。はっきりとした時刻は分からないが、朝はまだ遠いのだろう。

 宿に帰ろうとして、しかしアグリアスは思い止まった。静寂が支配するこの森に何者かの気配を感じた。

 闇に慣れた目を凝らし、耳を澄ます。収めたばかりの剣の柄に手をかけ、そうして彼女は口を開いた。

「誰」

 誰何の声が闇に溶け込む。ややあって草の踏む音が聞こえ、影が動いた。

「気付いた?」

「やはりおまえか、ラムザ」

 木の葉に遮られ月の光も届かない森の闇から姿を現したのはラムザだった。戦いの最中などには厳しく歪ませることもある表情も今はリラックスしているのか、明るい。

 柄にかけていた手をおろす。それを見てラムザは僅かに肩を竦めた。

「そんなに殺気立ってたかな、僕」

 飄々とした物言いだ。世渡りの術を覚えたせいだろうか、こんな言い方を最近ラムザはするようになった。

 アグリアスは横に首を振ると、同じように肩を竦めて見せた。

「いや。だが、万が一ということもあるしな。ところで、どうした?」

 間近まで歩み寄ったラムザを見上げる。枯れ枝を踏みでもしたか、ラムザの靴の下でぴしりと音がした。

「アグリアスが外に出て行くのを見たんだ。剣を持ってたから鍛錬に出たかと思って。それで」

 ラムザは手にしていた己の剣を掲げた。

「手合わせを?」

「そう。お願いできますか?」

 断る理由は何もなく、アグリアスは頷いた。数歩進み、先刻までひとりで剣を振るっていた場所に出る。

「……手加減は無用だからな」

「そちらこそ」

 ラムザの答にアグリアスはにやり、と笑んだ。

 

 

 攻撃を仕掛けたのはラムザだった。

 敏捷な体躯を十分に活かし、素早く切りかかってくる。アグリアスは最小限の動きでそれを避け、青年の刃の流れを変えるために剣を交えた。

 冷え冷えと澄んだ音が夜の闇に吸い込まれていく。

 飛び退り、間合いを窺う。視線。呼吸。気配。空気。温度。柄を握り締める己の手の熱。体の各部に散っている感覚が己に必要な情報を報せる。

 数多に散らばる点を集め、面にする。脳裏の見えぬ手によってそれは凝縮され、線になり、またひとつの点となる。

 刹那、アグリアスは跳んだ。避けきれずにラムザが咄嗟に出した剣とアグリアスのそれが再びぶつかり、凄まじい音を生み出した。音に脅えたか、木々の間を縫うように逃げ惑う鳥の羽音が響いたが、彼らには聞こえなかった。

 重ねられる金属音。合間に飛び散る火花。

 見るよりも早く相手の姿を捉え、そうして次の一打を繰り出す。かわされ、弾き返し、走り、再び剣を交える。途端に剣は重みを増し、次第にアグリアスの腕はそれに耐え切れなくなった。

 反動をつけ、交えた剣を撥ね返す。そのまま水平に振るった己の剣はしかし、虚しく空を切った。ラムザの姿は何処にもない。

 何処にも。

 柄を握り直し、刀身を傾け、アグリアスはラムザの気配を探った。と同時に、己の気配も消し去る。瞼を閉じ、呼吸を整え、時が満ちるのを待った。

 真暗闇。

 だが心の目を凝らしてみれば、闇の中動くものが見える。炎のように自在に姿を変える、殺しきれない気配のかけら。

 木々の間を駆け抜けるそれは次第にうねり、急速に大きくなった。そうしてアグリアス目掛け、音もなく突進して来た。

 アグリアスは動かない。動かぬまま、傾けた刀身をも微動だにせぬまま、彼女は待った。待ち――、空気が動いたのを捉えるや否や、目を見開いた。

 流れるが如く、剣を持つ両の腕が構えを変える。瞬きの間の後、アグリアスの剣の切先は、今まさに剣を振り下ろそうと迫ったラムザの喉元へと突きつけられていた。

「――っ」

 剣を振りかざしたまま、ラムザは息を詰めた。刃先は彼の喉元に僅か数寸にも満たない距離で突きつけられている。

 沈黙。

 そして、静寂。

 詰めた息をそろそろと吐き出し、ラムザがそのまま一歩後退する。それを確認してからアグリアスも剣を引いた。

 やがて、どちらともなく溜息が漏れた。

「……今日はいけると思ったんだけどなぁ」

「勝てると思った時がもっとも危うい。注意が削がれ、踏み込みが甘くなる」

 半ば愚痴るようなラムザの言葉に、アグリアスはひっそり笑った。

「だが、強くなった」

 アグリアスは手を振った。ラムザの繰りだした剣技は本当に狙い澄まされたものであったため、その力を剣がよく吸収し手に痺れが走っていたのだ。

 剣を鞘に収め、拳をつくりそして開く。数度の後に手はもとの握力を取り戻した。

 あともう少し剣を交えていたならば、機を取り逃がし未だ決着が付いていなかったならば、おそらく負けていただろう。

 最後につくった拳をゆっくりと開き、アグリアスは考えた。

 ラムザと手合わせたことはこれまでに幾数度。彼はその度に強くなっていった。それだけの時が過ぎ、それだけの理由があったからだ。

 そう、彼は強くなった――。

「アグリアス?」

 不意に押し黙ったのを訝しく思ったか、ラムザが声をかけた。我に返り、それまで落としていた視線を上げると、不思議そうな表情をしている青年の背後に月が見えた。

 紫色の月。

 見覚えの、ある。

「……ああ、すまん。少しぼんやりとしていた」

「何か考えごと?」

 問われ、アグリアスは曖昧に誤魔化した。夢見が悪くそれで情緒不安定になっていた、とはさすがに言い難かった。それに他人に心を打ち明けるのは不慣れだし、何より自分には似合わない。

 大体、これは考えるに足りることなのか。弱い心が夢という姿に変え、ふと耳元で囁いているだけではないか。

「何でもないさ。ラムザ、おまえの弱点をあれこれと考えていただけのこと」

「あーっ、ひどいなあ」

 ラムザの頓狂な声にアグリアスは笑った。笑い、気付かれぬよう胸を撫で下ろした。

 下手な嘘と知りながら――ラムザは気付いただろう、あれが言い訳めいた嘘に過ぎないということを――そのままやり過ごしてくれたことに心から感謝した。

 心の中身を聞かれたとしても、今は何も言葉が出ないだろうから。

 

 

「寒くなってきた」

 あたりさわりのない会話をしばしした後、ラムザがふるりと震え、空を仰ぎ見た。アグリアスもつられるように見上げた。

 空にはやはり、紫色の月。

「動いてからもう大分経つからな。風邪を引く前に戻るか」

「そうだね。いなくなってるのが分かると皆が心配するかもしれないし」

 ふたりは林の中へ入っていった。今宵の寝床である山間の寂れ宿からこの場までは、道らしい道などない。

 針葉樹の木立に入ると、枝に月明かりが遮られ闇は一層深くなった。目を凝らし、時には手探りで前を進む。倹しく生えた羊歯草に浮かぶ夜露が靴を濡らした。

 何故か訪れた沈黙。迷わぬよう足を動かすのに忙しいのか、ふたりとも押し黙ったままもくもくと歩いた。先をラムザが行き、その後をアグリアスが追った。

 梢の合間から差し込む月明かりに、僅かに視界が明るくなる。そうして見えたラムザの背にアグリアスは目を細めた。

 ――それだけの時が過ぎ、それだけの理由があった。

 彼が真の意味で強くなっていったのは。

 揺れ動き、無力さを噛み締めることもあっただろう。まったく生気がなかったこともあった。見てきたから分かる。そして彼がそれらを乗り越えてきたことも。

 遠く、小さくあかりが見えた。宿の戸口にともした常灯。それは歩を進めるごとに次第に大きく見えてくる。

 アグリアスは背中から目をそらし、ぼんやりとあかりを見つめた。暗闇の、道ではないところから見るそのあかりは何かを思い出させた。

 ふたつの道。

 歩いてきた道と、そうでない道。歩くはずだった道。

 何故こんなに気になるのか。何故とらわれているのか。とうの昔に結論を出したはずのことなのに。未練など、なかったはずだ。後悔などなかった。

 あかりはその大きさを変えず、青年の背は闇に消えかける。だが、アグリアスは先に進むことができなかった。一歩も動けなくなってしまっていた。

「アグリアス?」

 足音が途切れたのに気付いたのか、ラムザはアグリアスが止まってから数歩進んだだけで振り返った。

「どこか痛めた?」

 戻ってきたラムザにアグリアスは緩く頭を振った。落とした視線を彼の靴先のあたりに留め、そうして彼女は口を開いた。

 秘め事は思うよりもあっさりと零れた。

「……ふたつの道が」

「うん?」

「ふたつの道があって……ああ、はっきり言おう。今、己の為していること、為すべきと思っていることのほかに、もうひとつ同じようなものが出てきたら」

 だが、次第に何を言っているのか分からなくなって言葉を切った。束の間の沈黙の後、自嘲気味に続ける。

「……欲張りなのだな。すまん、ラムザ。変なことを」

「僕もよくあるよ」

 自嘲を通り越し、自己嫌悪に陥る寸前だったアグリアスは、ラムザの思わぬ告白に顔を上げた。

 夜の闇で表情はやはり分からない。だが、声は明るかった。

 ――最近、元気がなかったのはそれでだったんだね。独り言のようにラムザは呟き、よくある、ともう一度繰り返した。

「歯軋りするようなことばかり。僕は今、アルマを追って……そして、裏で何か企んでる人間を追ってる。だけど、本当にそれが最良の方法なのか分からない時もある。もしかすると、私情に皆を巻き込んでるだけかもしれない」

「そんなことは」

 ない、とアグリアスが言う前にラムザは頷いた。

「すごく器用な人だったら、アルマを追いかけるのも、この戦乱を何とかしようというのもどちらも出来たかもしれない。もっとうまく立ち回ることもできるんじゃないかな。でも僕は不器用でひとつにひとつのことしかできないから」

 アグリアスはただ黙って聞いていた。

「できないから、僕は僕にしかできないことをすることにした。そして、他のことは託すことにしたんだ」

 この体はひとつしかないが、自分はひとりではない。

 そう信じているからこそ。

「……ディリータハイラルか。南天の」

 王女の誘拐犯だった男。そして、いまやこの戦乱の鍵を握るとまで言われている男。

 アグリアスはよい感情を彼に持っていなかった。大層な理由を並べ立て、自らの行動を正当化したところで彼の言葉を信じることはできなかった。

 だが、世流は確かに彼の言うとおり大きくうねり、秩序は崩れ去った。

 ――もし、彼ではない他の……「予定どおり」の人間が「予定どおり」に王女を誘拐していたならば。

 そう考えるとぞっとした。

 行動のすべてを許すことはできない。だが、彼が現れたことで何かが変わったのも、それで己が救われたのもまた確かな事実。

「そう。彼の話をゼルテニアで聞いて、その時に僕の道はひとつになった。託せると思ったし、託されたとも思った」

 ラムザの声音が少しく変わり、懐かしさを帯びたものになる。ディリータという存在は彼にとって親友という位置を占めていたのだから。

「違う道を選んだのは、このためだったのかなって思ったんだ。もっとも、僕がそう思っているだけでディリータがどう思ってるかは分からないけど。……ごめん、長話になっちゃったね」

「いや」

 噛み締めるようにアグリアスは答えた。ラムザの言葉に何かを見出したような気がした。

 焦りは消えはしないが、自己に対する嫌悪の感情は薄らいでいた。ためしに足を動かしてみると、それは思いどおりに動いた。歩ける。

 数歩進み、ラムザの前に立つと彼女は振り返った。

 梢の合間から注ぐ月明かり。

「おまえの話を聞いて、少し心が軽くなった。私にはそのような託せる相手などいないが……その分せめて祈る。あの方がお幸せであることを」

 交わることのない、ふたつの道。

 歩んできた道と、歩んだことのない道。歩むはずだった道。

 自分は今までの道を歩み続けるだろう。それは確かな己の望みなのだから。だが、胸にあるこの想いも本当のもの。

 それならば祈ろう。剣を手にし、遠い地からせめて。アグリアスは思った。

「うん。そうだね。それは僕も同じ想いだから……ああ、それにしてもよかった」

 ラムザは頷き、それから急に溜息をついた。よろよろとよろめき、幹に手をついた。そうしてまた溜息をつく。

「よかった? 何がだ」

「いや、アグリアスが抜けるとか言ったらどうしようって思ってたんだ。結構必死だった。だから」

「……もしそう言ったらどうする?」

 大げさな物言いのラムザにアグリアスは呆気に取られていたが、ふとおかしくなり、重ねて訊ねた。

「引き止める。アグリアスは僕にとってとても必要な人だから」

 きっぱりとラムザは言った。即答だった。

「もちろん、そんなことにはならないって信じてるけどね」

「ラムザ……」

 何故か頬が熱くなった。動揺し、あらぬ方を向こうとしてその必要はないと気付き、アグリアスはばつが悪くなった。今は夜。表情をはっきりと読み取ることは難い。

 だが。

「あれ、もしかして照れてる?」

「そ、そんなことはない。……帰るぞッ」

 ――何故そういうことには敏いのだ。

 出かかった言葉を呑みこむ。そうしてラムザに顔を覗き込まれる前に素早く方向を転じると、アグリアスは大股に歩き出した。

「え。あ。ちょっと待ってよ!」

 後ろで慌てたようにラムザが声を上げる。アグリアスは一瞬歩を速めたが、少し迷い、足を止めた。振り返り、青年が追いつくのを待った。

 ふたりは並んで歩き出した。針葉樹の林を過ぎ、宿への道に戻ると、月明かりがあまねく降り注いだ。

 宿の戸口にともしたあかりを目印に、ふたりは並んで一本の道を歩いた。

 

 

 

~fin~

 

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