【FFT_SS】ラムや
宝瓶の月18日
終日薄曇り肌寒し
隣家より猪肉をもらう。
ラムザ達がオーボンヌ修道院で姿を消してから、今日でちょうど二月になった。ドーターでラムザと別れてからは六十二日になる。ラムザはまだ戻らない。
二月たってもまだ、あの日のことを何度でも思い返してしまう。他にわずかでも寄る辺のある者は去ってほしいと、ラムザは言った。その通りだと私も思った。最初に私の名が呼ばれて、私はとても面食らった。
オヴェリア様のことを忘れていたわけでは無論なかったが、それはまた別のこととして、私は当然のようにラムザについてゆくつもりでいた。私のほかに除名された者達も皆、心外そうな顔をしていたことを思い出す。
窓辺のコロリアの花びらが湿った色をしている。賞金のついた異端者の身でなんとかオヴェリア様にまみえようと算段しているうちに、オヴェリア様は儚くなってしまわれた。いきさつについて今でも色々の噂が飛び交っているが、恐ろしくて確かめる気力がない。コロリアの花をオヴェリア様の墓前に供えようと思って、まだそのままになっている。
私に向かってさようならと言ったラムザには表情がなかった。最後に覚えているラムザの顔がそれであることがつらい。
アルマ・ベオルブの葬儀は遺体なしで行われたという。ラムザはきっと戻ってくる。
宝瓶の月19日
曇り午後から雨
今日、近所の靴屋で小さな祝いがあった。戦争で行方不明になった恋人が三月すぎて戻ってきたという。私はとても行けないのでアリシアに代わりに行ってもらって、小さなパンをもらって帰ってきた。裏の老婆は五十年戦争で死んだと思っていた夫が、七年たって帰ってきたという。ラムザの場合は事情がまるで違うとわかっているが、それでも望みを託したい。
夜、戸締まりをなるたけ遅らせて何度も外を確かめる癖がまだ直らないで、アリシアに怒られた。前からたびたびたしなめられたが、いまラムザが帰ってくるかもしれないと思うと掛け金をかけることができない。
宝瓶の月20日
晴れ寒し
昨日の靴屋の娘が、想い人が戻るまじないを教えてくれた。その人が使っていた食器をテーブルに伏せ、その上でいなくなってからの日数分だけ香をつまんで燃やす。彼女の想い人はそうして八十二日目に戻ってきた。食器はないと言ったら、よく使っていた道具なら何でもいいという。まじないなど信じないつもりだったが、ラムザの短剣をテーブルに置いてその上で香を焚いた。今日までの六十四日分をまとめて焚いたら部屋が煙くなった。明日から一つまみずつやってみようと思う。
家にくる御用聞きが、だいじょうぶ新王は復員兵の救済にも力を入れているから、きっと見つかります、というようなことを言った。なんとも答えようがないので、あいまいなことを言って返した。
宝瓶の月21日
一日晴れ
私はラムザと恋仲だったわけではない。ラムザが特別私のことを好いてくれていたとは思わない。何も特別な関係ではなかったのに、いなくなった途端にこんなにも恋しがるのは可笑しいと思うが、そう思うだけ思っても心はままならない。
花売りが泣きながら息子の名を呼んで、表を通った。いくらかの金をやるとびっくりするほど大きな声で、貴方の待ち人が戻りますように、という聖典の一節を唱えた。
花売りも靴屋の娘も御用聞きもみな、私が戦争で恋人を亡くしたと思っている。その恋人は当然北天の兵卒だと思っている。異端者だとは思わない。花売りが泣いて待っている息子を、私がどこかで斬り倒したかもしれない。
宝瓶の月22日
寒し 方々で用水桶の氷を叩き割る音がする
一週間ぶりにラヴィアンが戻ってきた。ゼルテニアの方まで回ってきたが、ラムザ達らしい情報はなかった。しきりに済まながるのをなだめ、旅疲れをねぎらうので一日過ぎる。
アリシアが昨日の日記を読んだらしい。恋仲の下りを持ち出して、それは貴方が鈍いだけです、と二人して笑われた。笑ったあとラヴィアンがまた済まながるので、なだめるのに苦労した。
ゼルテニアにもいなかった。ラムザ、お前は今どこにいる。
***
双魚の月2日
小雪降る
七年たって戻ってきた、裏の老婆の夫のことを考える。七年でも十七年でも待つことはできるが、待つ間にも年をとる。元々私はラムザより四つ上だ。ラムザが戻ってきたとき、私はもう女としてその隣にいることはできないかもしれない。そんな者が待っていてラムザは嬉しいだろうかと考える。いやそれでも待つと考える。
双魚の月3日
曇り寒し
ムスタディオから手紙が来た。ゴーグでもラムザ達の情報は入ってこないという、その知らせだったので気分が滅入る。しかし、足の悪い御父上がいれば遠出もできないだろう。いっしょに火精酒を送ってきたが、私は呑まないのでアリシア達の分を残して近所に分ける。
久しぶりに代書の仕事が来たので、受けてみた。恋文以外なら何でも書く。恋文はアリシアに任せることにしている。
双魚の月4日
隣の家が猫を飼い始め、ラムと名を付けた。ラムやラムや、と呼ぶ声がつらい。
ラムザがミルクを好むのを、猫のようだと言って笑ったのはレーゼだった。可愛がりたそうな手つきがいやらしかったので、注意したら笑われて、ますます腹が立った。ベイオウーフと共に、今は何処の空にいるか。ラムザを探してくれているか。
双魚の月5日
曇り夜より雨
ラムザは今どこにいるのだろうと考える。修道院からは教会関係者の死体しか出なかったというのだから、オーボンヌで死んだのではない。生き延びてどこかにいるのか。ルカヴィの異界へ連れ込まれでもしたのか。帰る途を失って、途方にくれているのではないか。オーボンヌから帰れないかもしれない、とラムザは言った。それが本当になるなどと思いたくない。
こんなことばかり考えてしまうのも、昨日から隣家で「ラムやラムや」と呼ぶ声が絶えないからだ。止めてほしいとも言えないが、さもさも愛しげな声がつらい。
双魚の月6日 ラムザ80日
隣の猫が道のはたにいた。「ラムや」と呼ぶと、にゃあと答えてこちらを見た。
夜、戸締まりをする前に戸の向こうの雨にむかって小声で「ラムや」と呼んでみた。
双魚の月7日 ラムザ81日
金貸しの夫妻に乞われて礼法を教えた。子爵の屋敷に呼ばれるのだという。武辺の心得だがと断った上でテーブルマナーなどいくつか手ほどきした。
貴族の地盤は少しずつ狭まり、平民との壁は確実に薄くなる、時代がそう流れていくのをこんな所で隠れ棲んでいても感じる。牛を追う地響きを遠くから聞くようである。
さておき、これも仕事になるかもしれない。軍資の残りはまだ充分あるが、徒食するのは気分が悪い。
双魚の月8日 ラムザ82日
小晴れ
ルザリアに救貧院ができ、多くの難民が入ってくるという。アリシアが見てきてくれるというので、早暁に出かけていった。今度こそ見つかってくれればいい。わずかな手がかりだけでもいい。
双魚の月9日 ラムザ83日
珍しく暖かし。礼法教えますと貼り紙をしたところ、その日のうちに二人も客が来た。必要から学ぶのではなく、これから貴族達と付き合おうという野心の下地として礼法を身につけたがる者が多いらしい。あまり繁昌して目立っては困ると思ったが、ラヴィアンによればこうした商売は今どこにもあるらしい。財を失った小貴族たちが、糊口をしのぐためにそんな教室を開くのだという。嘆かわしい話だが、今の私の境涯も大して変わるものではない。せめて厳格に教えよう。
双魚の月10日 ラムザ84日
靴屋の娘に教えてもらったまじないの、短剣の刃が香の燃え滓でいっぱいになったので、掻き落としてまた新しく始めた。香を買い足しておかなくてはならない。
礼法の客が新たに一人来た。やはり金貸しが多いようだ。
双魚の月11日 ラムザ85日
夢の中でラムザがいた。この家で一緒に暮らしていて、私がミルクをあたためていると、最近ミルクは飲まないんです、と言った。では何を飲むか聞いて、ラムザが何か答えたが、なんと言ったのか覚えていない。
目覚めたときに汗まみれになっていて、その日一日なにも手につかなかった。今は何を飲んでいるのか、覚えていたらそれを用意しておくのに。
双魚の月12日 ラムザ86日
黒雲厚し
四つ辻にある尋ね人の貼り紙が一枚、剥がされていた。見つかったのか死んだのかわからないが、前者であればいいと思う。ラムザもこういう方法で探せれば効果があるかもしれないが、賞金首がまだ有効である。ラムザがどこかにいて、隠れ潜んでいるために会えないのだとしたら、どうすればいいだろう。今日見つかるか、明日こそは会えるかと思って待ち続けるしかないのか。
双魚の月13日 ラムザ87日
ムスタディオからまた手紙が来て、ウォージリスの復員兵にラムザらしい人物がいるという。ムスタディオが人づてに聞いたところでは、あらゆる特徴はラムザと一致する。実際に異端者と思われて逮捕されかけたというからよほど確からしい。慌ただしい文面から興奮しているのがわかる。
御父上の足の具合が悪く、自分で確かめに行けないので代わりに見てきてほしいということで、私が行くことにした。旅支度の合間にこれを書いている。
今度こそラムザに会えるかと思うと筆が震える。会ったらまず何を言おうか、ウォージリスなら素敵な牧場があるから、とびきりのミルクをおごろうと思って、ミルクは飲まないというこの間の夢を思い出した。今は何を飲むのか、まずそれを訊くことにしようか。
白羊の月3日 ラムザ107日
昨夜戻り、旅装を解いて眠ったら昼まで目が覚めなかった。
ラムザではなかった。よく似ているが別人だった。
アリシアが戻ってきていて、ルザリアにも手がかりは何もなかったという。両腕をもがれたような気持ちになって、久しぶりに隣の「ラムやラムや」の声を聞いたら涙がこぼれて止まらなくなった。
白羊の月4日 ラムザ108日
終日霧
出かけている間に、ラムザがいなくなって三月がたってしまった。私がいない間も欠かさず香は焚き続けられて、短剣の刃がほとんど隙間なく真っ黒になっている。いまだ験は見えない。
代書の仕事があったので始めたが、はかどらずに終わった。
白羊の月5日 ラムザ109日
薄曇り
私のいない半月ほどの間、代書業より礼法教室の方がよほど繁昌しているという。私も二人ほど受け持たされた。やはり金貸しが多い。
ラヴィアンが庭の裏で泣いていた。ラムザと共に行ったラッドのことを思っているのだろう。帰らないのはラムザばかりではなく、待っているのも私だけではない。そう頭で分かっても、やはりラムザを待つ。
白羊の月6日 ラムザ110日
日々暖かし。ベスラにも救貧院が作られる由、完成したら見てこようと思う。
先月から礼法教室に来ていた若い金貸しが私のことを妙な目で見る。
白羊の月7日 ラムザ111日
朝霧立つ
昼に買い物に出た時、せまい路地にラムザがいた。驚いて駆け寄ってみたら誰もいなかった。
人間違いをしたことはあるが、幻を見たのは初めてだ。家へ戻ったらアリシアが私の顔を見て真っ青になった。よほどひどい顔だったらしい。
白羊の月8日 ラムザ112日
先日の金貸しから食事に誘われ、断る。下卑た目つきをしていて、耳の一つも切り落としてやりたかったが我慢した。
白羊の月9日 ラムザ113日
夜半、表でラムザの足音がしたような気がして起きた。そのせいで一日眠い。
丘向こうの絹商の若旦那が、私が昨日金貸しに誘われたことを知っていて、道で急に話しかけられて驚いた。ラヴィアンが話したらしい。何故だかすごい剣幕でその金貸しをなじり、私よりも怒っていた。
白羊の月10日 ラムザ114日
薄曇り霧
起き抜けに枕辺にラムザを見たように思って飛び起きた。最近こんな目覚めばかりのような気がする。
白羊の月11日 ラムザ115日
絹商の若旦那に求婚された。
感じのいい青年で、代書をよく頼みに来、礼法教室にも通ってきていたお得意だったが、そんな風に私のことを見ていたとはまったく知らなかった。金貸しの件で焦りを覚えたのだと、ラヴィアンはいう。いらぬ事を話したせいだと叱ってやった。
受ける気はないが、あまり真剣なので答えに窮し、とりあえず先延ばしにしてもらった。なんと言って断ればいいのか、見当がつかない。レーゼか、メリアドールか、オルランドゥ伯がいてくれたらいいのに。でなければ、ラムザが。
白羊の月12日 ラムザ116日
絹商来る。いないことにしてラヴィアンに返してもらった。
断る理由を考えればラムザのことを思わねばならず、そうするとそこで考えが止まってしまう。どうにもならず、苦しい。
白羊の月13日 ラムザ117日
人混みへ出るとまたラムザの幻を見る気がして、外出できない。代書の仕事もなく終日無為。絹商来るが会わず。
昼、隣のおかみが来て、生きているかどうかわからない恋人など忘れて絹商と一緒になった方がいい、という意味のことをやんわりと言った。
白羊の月14日 ラムザ118日
断りの文句を思案する途中で考えがラムザのことに迷い込み、鬱鬱として過ぎる。ラムザの心配は心配として、日々の暮らしは普通にできていたのに最近それができなくなっている。何かが限界を迎えつつあるのを感じる。夕方ラムザの声を聞いたような気がしたら、うたた寝をしていた。
白羊の月15日 ラムザ119日
終日無為。ラムザの夢を見たが、どんな夢か覚えていない。夜は眠れず、昼も起きている気がしない。
白羊の月16日 ラムザ120日
私は気が触れたかもしれない。
ここ数日ラムザの幻を見たり聞いたりしたが、それが着実にひどくなっている。今などは門の向こうにラムザが見えて、目をこすっても消えもしないでしばらく立っている。
このままほんとうの狂人になってしまう前に、自分で始末をつけなくてはならなくなるかもしれない。だが、自ら命を断ってはオヴェリア様の元へゆけない。
門の向こうのラムザはまだいる。こちらへ近づい
***
宝瓶の月28日
霜深し、午後には溶ける
ほぼ十月ぶりにこの日記を開く。読み返して、我ながらとんでもない所で筆を放り出したものだと苦笑いをする。
ドーターで別れてからちょうど120日目に、ラムザは帰ってきた。最後に門の前に現れたラムザは、幻ではなかった。
実はその数日前からベリメの街に入って、私達の様子をうかがっていたのだという。なぜすぐに姿を現さなかったかといえば、思い出しても腹が立つが、今でもそっくり覚えているからそのまま記すが、「四か月も経てばアグリアスさんにも自分の暮らしがあって、もしかしたら恋人なんかもいて、今更僕が出ていったら邪魔かもしれないと思って」という。思いきり張り倒してやった。
それから他の仲間達と会い、ムスタディオやオーラン達に連絡をとり、皆の住む所や仕事を調達し、ラヴィアンがラッドと一緒になって出ていき、私達も別に住まいを構えて、瞬く間に一年近くが過ぎた。アリシアが祝いとともに届けてくれるまで、この日記のあることをすっかり忘れていた。これからまた日記をつけようと思うが、この一冊は早く使い切ってしまわなければならない。こんなものをラムザに見られてたまるものか。
日記を開いた目的を忘れるところだった。
娘が生まれた。ラムザによく似た、鳶色の眼をしている。名前はだいぶ迷ったが、やはり「オヴェリア」では畏れ多いということで、ティータと名付けた。
ティータ・ルグリアに、どうか幸いの多からんことを。
~fin~